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2018年7月17日(火曜日)

子どもの心に素敵な喜怒哀楽の心性が育ちますように

カテゴリー: - hp-admin @ 19時09分22秒

 

 まもなく1学期が終了します。毎日各教室を訪問する中で、子どもたちはもちろんですが、

先生方のいろんな表情や言葉にもたくさん出会いました。今日の教室の風景です。

 

 【1年生の教室で】

 先生が真剣な表情で子どもたちを見つめています。何かの片付けについての説諭のようです。

 「大切な物が、なくなったら大変だよね。」

 いつもは優しい先生の、真剣でいて悲しそうな声に、子どもたちは神妙な様子です。

じっくりとうなずく姿を見ていると、「あ、子どもの心にしっかりと届いているな。」と感じました。

   

     【4年生の教室で】

   2〜3人の、音読の発表です。内容は落語。

   私が覗く前に各チームで練習を重ねたのでしょう。抑揚・強弱をつけての音読は、真剣そのものです。

   「すごーい。上手だったよね。頑張ったね!」

  先生は、温かい笑顔で声を掛けます。

  発表した子らは、照れくさそうに微笑みます。

   「感想ある人!」

  先生の声かけに、手がざざっと上がり、「すごかった。」「2人のタイミングがよかった。」

誉め言葉が続きます。安心感に包まれた穏やかな笑顔が教室中に広がっていました。

 

    何に喜び、

  何に怒り、

  何に笑い、

  何に悲しむか。

  

     さらには、

    何を大切なこととし、

  何を誉め、

  何を許せないこととするか・・・。

   

       これら教師の日々の喜怒哀楽が、学級の子どもたちの規範や文化を創っていきます。

     私たち教師が研修に励まなくてはならない大きな理由は、きっとここにあるのでしょう。

 

    新たな出会いや発見に喜び、人間として許せないことに真剣に怒り、人の喜びに共に笑い、

  人の悲しみに共に泣けるような、そんな素敵な喜怒哀楽の心性が、雄郡小の子どもたちに育っていきますように。

 

 

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2018年7月6日(金曜日)

プールには神様と魔物がいるんだよ 〜2年生 プール開きの一コマから〜

カテゴリー: - hp-admin @ 16時38分31秒

 

 その日、私は出張で、プール開きの挨拶は教頭先生にお願いしました。その聞き書きです。

 

 「プールには水の神様がいます!」

 教頭先生は静かに語り始めます。

 「みんなが一生懸命泳いでいるのを、『がんばれー』と応援し見守ってくれているのです。

  自分の目標を決めて、しっかり頑張りましょう。」

 素敵な挨拶です。

 子どもたちは、うんうんとうなずきながら聞いていたそうです。

 

 さてさて、その後です。水泳の時間の注意を担当教員が話すことになっています。担当は初任者の先生です。

教頭先生は内心、「しっかり話してよ。」と心配していたそうですが、そんな心配は全く無用でした。

 

 「プールには魔物がいます!」

 教頭先生は、ガツン−と感じたそうです。そして、思わず「うまい!」と手を打ちかけたとのこと。

 その後、担当教員は、水の怖さをしっかりと伝え、ルールを守りながら水泳を楽しむことの大切さを話し、

子どもたちは真剣な表情で聞き入っていたそうです。

 教頭先生と担当教員、打合せ無しの見事な連係プレーだと感じました。

 

 

 

 2年生は、元気一杯水泳を楽しんでいます。

水を怖がっていた子も、たくさんの子がもぐりっこやけのびができるようになりました。

バタ足も上手にできるようになりました。

 

 子どもたちは、魔物に出会うこともなく、水の神様をしっかりと味方にしたようです。

 

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2018年7月2日(月曜日)

「きつねのおきゃくさま」〜愛おしいきつね君へ〜

カテゴリー: - hp-admin @ 17時42分49秒

 

 先週の水曜日に、本校初任者の研究授業がありました。

 2年生の国語で、題材は物語「きつねのおきゃくさま」。

  

   物語のあらすじは次の通りです。

 

 お腹をすかせた「きつね」が、太らせてから食べようと、まず「ひよこ」に優しく声を掛けます。

幼いひよこは、全く疑いも持たず、「あひる」「うさぎ」も誘い、全員で共同生活を始めます。

 ところが、食べられるはずの3匹は、きつねの悪だくみに気づかず、「きつねお兄ちゃんは、やさしい。」とか

「かみさまみたい。」と話し合います。そんなことを言われたことのないきつねはのぼせ上がり、

胸の内は微妙かつ複雑に揺れ動きます。

 そして、「くろくも山」から狼が下りてきて、3人がまさに食べられようとする時、きつねは何を思ったか飛び出し、

勇敢に戦うのです。狼は逃げていきましたが、深手の傷を負ったきつねはその夜死んでしまう、という話です。

 

 子どもたちの話し合いは、「“はずかしそうに わらって しんだ”きつね」の心情に集中しました。

「みんなを守れてよかったよ。」

「本当は、おまえたちを食べようとしていたんだ。」

「かっこいいところを見せられなかったことが恥ずかしいよ。」

「死にたくない。ひよこたちとまだ一緒にいたいんだ。」

・・・

 

 なぜきつねは、最期に笑ったのでしょうか。

 3匹を守れた安心感からなのか、悪だくみの心から解放された喜びなのか・・・。

 

 

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  この日、指導助言をいただいたのは、愛媛大学副学長の三浦和尚先生でした。

 先生は、この作品の作者である「あまんきみこ」さんと懇意にされています。

 ある時、あまんさんに、

 「きつねを何で死なせたんですか。仲間と仲良く暮らしました、ではいけないでしょうか。」

 と質問されたそうです。

 あまんさんは、

  「かわいそうなことをしました。けれども、あのお話では、死んでもらわなくてはならなかったの。ごめんなさいね。」

 と話されたとのこと。

 あまんさんにとっては、心ならずもきつねに死んでもらって、やっと伝えられることがあったのでしょうね。

 

 この物語で最高のキーマンは、私は「ひよこ」だと思っています。

 ひよこの、素直に「きつね」を信じる気持ちが、疑いを持つ「あひる」や「うさぎ」の心を動かし、

やがてきつねを生まれ変わらせたのです。純粋無垢な存在というものは、周りの人を変えていく力があるのですね。

 

 「恥ずかしそうに」という言葉については、三浦先生が御指導の中でこんなことをおっしゃいました。

 「生きるってことは恥ずかしいことの繰り返しで、人は、人に言えないようないろんなものを抱えているはず。」

 

 「田頭校長も同じですよね。」

 と言われ、思わずうなずき、苦笑してしまいました。

 きつねは、自分のことを善人と思われたままで死んでいくことが、きっと、くすぐったくて、それでも嬉しかったのでしょうね。

 

 あまんきみこさん。

 子どもも大人も深く考えさせられる素敵な作品を、ありがとうございました。

 

 


2018年6月25日(月曜日)

子ども自らが育つ力に寄り添う

カテゴリー: - hp-admin @ 12時56分18秒

【子どもと教師の姿:その1】

 

 若葉学級のA君は、担任のK先生が大好きです。

 朝の会、みんなが昨日の出来事や今日のめあてを発表している時、退屈に感じたのでしょうか、

A君がゴソゴソし始めました。K先生はすかさず声をかけます。

 「Aさん、〇〇さんのお話聞いてあげようね。」

 A君は、思い直したように前を向きます。

 「Aさん、しっかりお話聞けているね。えらいよ。」

 横に寄り添いながらほめてくれるK先生の笑顔に、A君もにっこりです。

 

 「できなかったことができた」、という事実をきちんとほめてくれる。

 

  こういう「ほめてほしいことをほめてもらった体験」が、子どもの中でストーリー化され豊かな

経験知となっていくのだろうと思います。

 本校の特別支援教育担当のチームは、毎日綿密な情報交換をしながら、自分のよさや成長に気付

き自信を深めていくための褒め言葉など、子どもが育つ働き掛けを検討し実践しています。

 

 先週の木曜日、K先生は出張でした。

 出かける前、私が「A君、今日はきっと寂しいだろね。」と声を掛けますと、「A君、投げキッスで

見送ってくれました。」と、K先生は微笑みながら答えてくださいました。

 

 今朝は、またまたK先生からA君情報が届きました。今日は、「ぼく、K先生と結婚したいー。」

と求婚されたとのこと。それを隣で聞いていたB君が、「大人と子どもは結婚できんのよ。」とた

しなめたそうですが、「なんでよ−」とA君は必死で言い返していたそうです。

 

 A君の思いは、しっかりとK先生に届いています。温かくて深い絆でつながっています。

 

 

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【子どもと教師の姿:その2】

 

 本校の保健室は、校長室の隣にあります。ですから、1日何人もの子が、私の前を通りすぎる

です。

 手や足を押さえた子、頭を抱えた子、目がとろーんとしていかにも熱っぽい子と、その様子はさ

まざまですが、中にはん?と思ってしまう子もいます。

 

 先日、2年生のCさんと出くわしました。「どうしたの?」と声を掛けますと、「手をぶつけま

した。痛いです。」とつぶやきます。ところが、彼女が指先で示す手首を見ても、腫れていないし、

傷もないし、赤くもなっていません。痛みを訴えた部分も、最初示した位置とはどうもズレていっ

ています。

 

 私は、とっさに「大丈夫じゃないの?」と言葉が出そうになったのですが、それはぐっと押さえ、

「じゃ、先生にみてもらう?」と言いますと、Cさんは、しょげた様子でうなずき、そのまま保健室

へ入っていきました。

 

 養護教諭のG先生、さてどうするだろうかと様子を見ていますと、Cさんの訴えを温かい目でう

なずきながら聞いています。

「そうなんだぁ。」

「机にぶつかったんね。」

「ここだね。痛かったね。」

  ひたすら聞き役に徹しています。

 

 しばらくすると、Cさんは、言いたいことを言い切ったようで落ち着いたようです。うつむいていた

目も、はっきりと開いてきました。

「どう?」

 G先生は、さりげなく問いました。Cさんは、少し間をおいて

  「治ったかも。」

  とやや照れくさそうに答えます。

「じゃ、頑張ってみる?」

「はい。」

「行ってらっしゃい−。」

 G先生の声に元気を取り戻したCさんは、さささーと元気溢れる早足で教室へ帰っていきました。

 

 この間、約3分です。

 

 その後教室を覗いてみますと、笑顔で授業を受けているCさんを見つけました。たった3分ですが、

彼女にとっては、心を癒やし元気を取り戻す貴重な時間だったようです。

 

 

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    子どもは、自ら育つ力を体の中に充満させています。その力が発露される支援の繰り返しこそが教

  の仕事だと、改めて感じる日々です。

 

 

 


2018年6月18日(月曜日)

さりげなく 人に優しさを届ける

カテゴリー: - hp-admin @ 12時40分27秒

 4月、校長室にはいくつかの鉢植えが並びました。私の着任を祝ってくださった方々

からのいただきものでした。ところが、罰当たりな私は、年度始めの忙しさにかまけて、

もう20日も超えた頃に、ハッと「自分は水をやったことないぞ・・・」と気が付きました。

 焦った私は、改めて鉢植えたちに目をやったのですが、いつも見ているので当然ですが、

どれもシャンと茎が伸び花びらもピンと開いています。

 「もしかすると、最近の花は品質改良が進んで水がいらないのかな。」なんて愚かな思い

を持った私は、立ち上がって鉢植えに近づきました。

 

 

「あれ?」近寄ってみますと、土が湿っていることに気が付きました。

「私は一度も水なんてやったことはないのに、何で?」

 

 

 そんな不思議な疑問を感じたまま数日を過ごしていたのですが、ある朝、所用があって

普段より早めに出勤した時、謎が解けました。校長室でじょうろを持ったA先生に出くわしたのです。

 A先生は、少し恥ずかしそうにされながら「おはようございます。」と挨拶をくださいました。

年度当初から私の気づかないうちに花への水やりをしてくださっていたのは、A先生なのでした。

 

 

この水やりだけではありません。A先生たち若手の、専科を中心とする先生方は、朝、

職員下駄箱前や職員室・校長室前の廊下をほうきで掃いてくださっています。お陰で、

庭に面していて砂が舞い上がってくるはずの廊下は、いつも綺麗で気持ちいいです。

 教頭先生に、「校長室の花の水やりや廊下の朝掃除なんて、用務分担ありましたか?」

と念のため確認しましたが、「いえいえ、そんな分担はないですよ。」と返事が返って

きました。朝から教室で子どもたちを出迎える担任の先生たちの負担を減らそうと、

自分たちができることを考え、自主的にやってくださっているのに違いありません。

 

 

 本校には、誰にも知られずに、誰に自慢するのでもなく、人に温かい優しさを届けてくれる先生方がいます。

こういう優しさの広がりが、学校全体の空気を素敵な香りに変えていってくれるのだと思います。

 


2018年6月12日(火曜日)

「命」を学ぶ 「命」から学ぶ

カテゴリー: - hp-admin @ 19時33分54秒

 

   昨日、2週間前に本校にやってきた子ウサギ3羽の内、一番小さかった1羽が亡くなりました。

飼育担当のY先生が、朝ぐったりしている様子に気が付き、ずっと抱きかかえていたのですが、手

の中でだんだんと冷たくなっていき、午後には目を閉じてしまったのです。動物病院に連れて行く

手配をしていましたが、間に合いませんでした。

 

  今朝の朝会でこの話をしますと、体育館に座っていた子どもたちは静まりかえりました。

  「休み時間には、多くの子が見に来てくれていたね。飼育委員会の子らは一生懸命世話をしてい

   たね。みんなで名前も決めようとしていたところだったのに、かわいそうにね。」

  私の前に座っている1・2年生たちは、悲しそうに涙ぐんでいました。

  「たった2週間だったけど、みんなと会えて、きっと『楽しかった』って思ってくれているよ。」

  その言葉に、何人もの子がうつむきました。

 

   子どもたちにとって、命の尊さに生で出会う機会はそう多くありません。多くの子が、飛び跳ね

ていた姿を思い出し、「命」が消えることの悲しさを感じたことでしょう。

 

 

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   校長室の前には、「ゆうぐんグリーンパーク」との名称の庭があります。

  ここには、花や野菜が植えられており、子どもたちは毎朝ペットボトルに穴を開けたじょうろを

手に水やりにやってきます。

  通りかかりますと、どの子も私を手招きしながら自分の鉢植えを指さし、

  「校長先生、見て見て!」

  「ほらほら、実ができてるんよ。」

  「こんなに大きくなったよ。」

  と口々に伝えてきます。

  Aさんが、ミニトマトを見せてくれながら、「校長先生、ほら、赤くなっとんよ。」と嬉しそう

に話してくれました。

  私は、「おーーー、おいしそう。後で食べにこようかな。」と軽口を叩いたのですが、どうもそ

の冗談は通じなかったようで、真剣なまなざしで「えーーー」とにらまれてしまい、「うそよ、

じょーだんよ!」となだめるのに苦労しました。

  その中で、ある2年生の一団は、いつも面白い声で水をやっています。

  「ごくごくごーく」

  「うまいうまい」

  「のむのーむ」

  野菜になった気分で、自分がかける水を感じているのでしょう。この擬人化した言葉かけに、子

どもたちの愛情を感じます。

 

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      雄郡小には、いろいろな「命」が生きています。そして、子どもたちは、その「命」から多くの

 ことを学んでいます。

 

 

 


2018年6月4日(月曜日)

「子規さん賞」に寄せて

カテゴリー: - hp-admin @ 19時08分04秒

 

  先日、「子規さん賞」の表彰がありました。これは、松山が生んだ俳聖:正岡子規にちなみ、

本校児童に俳句に親しんでもらおうと、年に7回、児童の創作した俳句からいくつかを選んで、

優秀句として表彰しているものです。

 

 以下、今回の表彰作品をお知らせします。

 

  こいのぼりせなかのたからさがすぼく     若葉

   お日さまがぼくのアイスを食べちゃった    2年男子

   ハンカチにぽつんとのったあついあせ    3年男子

   クラスがえ葉桜の道早歩き             4年女子

   ころもがえなつかしい服つみあがる      5年女子

   衣更背が伸びたねと笑う母             6年男子   

    

  どの句も、場面の様子や人間の表情が浮かんでくるようで、自然で素直な心象が表現されていると

思います。「写生」を追求し続けた子規の名を冠した表彰にふさわしい句ができたようです。

 

 10年ほど前、子規終焉の場所、東京根岸の子規庵を訪ねたことがあります。そこは、気を付け

ていないと通り過ぎてしまうような、入り組んだ路地の中の小さな平屋でした。

 

  六畳の書斎には、子規が使った文机(複製)があり、曲がらなくなった足を入れるための切れ込み

がありました。そのリアルさに圧倒されたのを覚えています。正面に広がる庭には、様々な草木が植え

られており、夕方の空と重なりとても美しい眺めでした。静かに座っていますと、机の前で筆を持った子

規が、目を細めながら庭を眺めている様子まで想像できました。

 

『病牀六尺、これが我が世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである』

(「病牀六尺」正岡子規著 岩波文庫)

  

  この小さな空間で、子規は、激痛に泣き叫びつつ、庭の草木と虫や鳥たちの「生」を「写生」し、また、

  文章を綴り続けました。子規の数々の偉大な業績は、この部屋で過ごした晩年に成されましたが、この

 ことを思うとき、広がりや深みのある世界観や人間観というものは、別に方々を飛び回りいろんな経験を

 したからっといって身に付くということではなく、自分自身の精神性や感性を磨き続けていくことこそが何

よりも大切なのだと感じてしまいます。

 

   雄郡の子らに、様々な機会を通して、子規のすごさと強さを伝え続けていきたいと思っています。そして、

 どの子もが、自然、人、事物などのさりげない姿から、その美しさや味わいを感受し自分らしく表現してい

 けるように育っていくことを願っています。

 

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2018年5月28日(月曜日)

院内学級の子どもたち

カテゴリー: - hp-admin @ 20時09分27秒

 

   本校には、院内学級という教室があります。校区に県立中央病院があり、

この病院に長期入院する児童のための学習の場として設置されているのです。

  現在、本校在籍の3人の児童がいます。それぞれに思いがけない怪我や病気でこういう入院となっている訳ですが、

どの子もこの院内学級が大好きで、元気一杯に勉強しています。

 

  この教室で課題となるのは、やはり体育です。外や体育館で運動はできません。

  そこで、子どもたちは何か自分たちでできないかと知恵を絞って、部活動を作りました。部の名前は「わなげ部」!

 

  ピンを立てました。それぞれに得点を決めています。

  紙皿を切って輪を作りました。どうも、切り方がいろいろだったようで、

スムーズに飛んでいくものと、ギクシャク飛行するものとがあります。輪には、色つけもしています。

 

  「放課後」になると部活動の始まりです。3人とも、ワーワーキャーキャー叫びながら楽しんでいます。

 

  私も、幼少期に2度の長期入院を経験しました。

寝たきりで天井ばかり見つめていると、木目が何かの顔に見えてきて、不安で怖がったことを覚えています。

3人も、友人たちと離れてしまい、たまらなく寂しいことと思いますが、

そんなことは全く顔には出さず、治療しながらの勉強に懸命に立ち向かっています。

とてもとても強い子らです。

 

  修学旅行のおみやげに、千羽鶴の小さな置物をプレゼントしました。

どの子も喜んでくれ、「ありがとうございます。」「大切にします。」と答えてくれました。

 

  みんな、早く元気になりますように。

 

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2018年5月24日(木曜日)

子どもの言葉を大切にするということ

カテゴリー: - hp-admin @ 15時46分56秒

 

  1年生の教室をのぞいてみました。国語の授業中で、今日はひらがなの「た」の勉強のようです。

 子どもたちは、「た」の付く言葉をどんどんと発表していきます。

 「たぬき」

 「たい」

 「たけ」

 当てられた列の子は、単語を見つけて順に発表していきます。

 「そうそう、たぬきね。」

 Y先生は、子どもの発表に合わせて大きく黒板に書いていきます。

 

 Aさんが、少し自信なさそうな声で言いました。

 「た、が、し・・・」

 先生は、ほんの一瞬何かを考えたかのようでしたが、

 「はい。『たがし』ね」

 そのまま板書します。

 

 近くの子らが、「え?」と発しました。

 「『たがし』って何?」

 「そんな言葉ないよ。」

 Aさんは、不安そうに下を向き始めました。

 横からその様子を見ていた私も、「あ、Aさん、何か勘違いしているのかな。」と思いました。

 

 ところが、Y先生、

 「しーーー、みんな静かに。今、先生は、Aさんに聞いているのよ。」と、穏やかに周りの子をなだめます。

 「Aさん、『たがし』でいいんですよね。」Aさんはうなずきます。先生は、何もなかったかのようにそのまま流します。

 その時です。Y先生は、Aさんが少し首をかしげて口ごもったのを見逃しませんでした。

 「Aさん、違ったの?」

 「だ・・・」Aさんがつぶやきます。

 「『だがし』」かな?」Y先生は、にこにこしながら問い返します。

 Aさんはうなずきました。

 Y先生は、「た」に「゛」を付け足し、「Aさんは、『だがし』って言いたかったんだって。

 お菓子のことですね。はい、次の人。」と、授業を進めていきました。

 Aさんは、ほっとしたように笑顔になりました。

 

 Aさんは、「駄菓子」と言いたかったのでしょうか。

 それとも、何か別の言葉と混同していたのでしょうか。

 低学年の子どもは、聞き言葉と話し言葉がつながりにくい事があります。

 たとえば、「あ行」と「た行」「わ行」などは、聞き言葉では区別が付きにくいこともあります。

 今思うと、Aさんは、誰かが話した言葉が心に残っていて、ふと「たがし」と出てしまったのかな、という気がします。

 

 さて、私がもし同じ場面に遭遇したら、きっと「え、『たがし』って何?」って問うていたことでしょう。

 もしかすると、「それは、Aさん、何かと間違えたんだよ。動物?食べ物」なんて追及を始めていたかもしれません。

 しかし、Y先生は、意味が見えない「たがし」を、迷うことなくそのまま板書しました。

 そして、他の子の声に対して「Aさんに聞いているのよ。」と彼女の言葉を守りました。

 さらには、これらの一連の指導を、決して気負った感じではなく、スーとした自然な流れの中で行っていきました。

 そういう教師の姿勢が、Aさんを安心させ、自身の「間違っていたかも」との自省を促し、言葉の学びを生み出したのです。

 

 Y先生の学級の子どもたちは、Aさんはもちろん、周りの子らも、

 「先生は、お話をしっかり聞いてくれる。自分を守ってくれる。自分を大切にしてくれる。」と、感じていることでしょう。

 そして、こういう積み重ねが、子どもたちの経験知として育っていき、

 やがて「人の話をよく聞き、他者の思いや考えを尊重する。」力になっていくのだと思います。

  

   些細だけども素敵なストーリーが、日々それぞれの教室で紡がれていきますように

 

 


2018年5月21日(月曜日)

「あ」〜校長講話:言葉の勉強をするということは〜

カテゴリー: - hp-admin @ 15時36分04秒

 

先日の校長講話では、「言葉の勉強をするということは」とのテーマで、子どもたちに話をしました。

 

「今日は国語の勉強をしましょう。この字、知っているかな?」

『あ』

画用紙に書かれた文字に、子どもたちは、なーんだ、という感じで「あ」と答えます。

「今のでいいの?」私は問い返します。

「はい!」子どもたちはうなずきます。

校長先生は一体何を言っているのだろう?という感じです。

 

「違うかもしれないよ。」私はつぶやきました。

 

太郎君は、集団登校で学校に向かっています。今日の休み時間は何して遊ぼうかとワクワクです。

・・・・。ふと立ち止まりました。昨日、先生が宿題プリントを配ってくれたことを思い出したのです。

僕、プリントやってないやぁ・・・。

その時、太郎君は、思わず『あ』とつぶやきました。

さあ、その『あ』は、皆さんが今言ったような元気一杯の『あ』かな。」

どんな『あ』?

 

一斉に小声でつぶやく声が返ってきました。

『あ

私は、画用紙に書いた『あを見せました。

 

私は、太郎君の物語をつなげながら、お話を作っていきました。

『あ!』プリント、家の棚に置いてあったぞ。

『あー』先生に叱られるよー。

『あーー』友だちにも笑われるかも。

『あ?』よく考えてみると、先生「月曜日に提出」、って言ってたかも。

学校に到着後、

『あーーー』よかった。やっぱり月曜日までだったよ。

 

子どもたちは、それぞれの「あ」を、情感たっぷりの声で響かせてくれました。

  最後に、

 〇1年生の最初に習う「あ」一文字の中にも、こんなにたくさんの意味があること。

 〇言葉を勉強するってことは、言葉の奥にある「人の思いや考え」を考えていくことな

 のだ、

 ということを話しました。

 

 その後、担任の先生が、この続きをしてくれたのでしょうか。いくつかの教室からは、

 いろいろな響きの「い」「う」「え」「お」の声が聞こえてきました。

 

 雄郡小学校では、豊かな心の育ちと一体化するような言葉の学びを実践しています。


2018年5月14日(月曜日)

「おはようございます!」

カテゴリー: - hp-admin @ 18時44分07秒

 

  朝、門の前で、あいさつ運動をしてくれている運営委員の子らと立っていますと、

いろいろな表情に出会います。

こちらを見て、響き渡る声で「おはようございます!!!」と叫んでくれる子

にこっと笑顔で、ちょこんと頭を下げてくれる子

恥ずかしそうに、やや小声で返事を返してくれる子・・・

 

  もちろん、その中には、うつむいたままでなかなか反応してくれない子もいます。

私の毎朝の目標は、「おはようございます。」と声をかけ続け、

1人でもたくさんの子からの声を聞くことです。

 

   子どもだって、大人と同じように、それぞれにいろいろな特性を持っています。

恥ずかしがり屋の子、声を出して表現できにくい子、人見知りをする子、

・・・いろんな子がいます。

挨拶の声が出しにくい子もいて当たり前です。

 

   それとも、もしかすると、うつむいている子は、

朝、何か元気がなくなる出来事があったのかもしれません。

お家の人に叱られたのかもしれません。

校門が近くなってから、忘れ物をしたことに気が付いたのかもしれません。

友だちとけんかして仲直りできていないのかもしれません。・・・

 

  大人も子どもも、いろんな思いを持って朝を迎えています。

しかし、それらを抱えながらも、「今日も会えたね。今日も頑張ろうね。」と

メッセージを贈り合うのが朝の挨拶なのだろうと思います。

いろんな表情、いろんな声でいいから、朝の挨拶の声が出せる子が、

1人、また1人と増えていってくれることを願っています。

 

   東門の前は、毎朝、多くの高校生が自転車で駆け抜けています。

年度始めに私が「おはようございまーす。」と声をかけると、

「何だ?このおじさん」と怪訝な顔をしていた子らが、

今では、自らこちらに挨拶してくれています。

おかげで、顔もすっかり覚えてしまいました。

名前も学年も知らない生徒たちですが、きっと雄郡校区の子らが大半なのでしょう。

私は、いつも、「今日もガンバレ!」という気分になります。

    たった一言の朝の挨拶の輪が広がり、雄郡の子どもたちの幸せな生活づくりの一助となっていきますように。


2018年5月2日(水曜日)

ささいな日常の一コマが「未来を生きる力」の一助となりますように

カテゴリー: - hp-admin @ 06時51分17秒

 

  着任して一か月足らずですが、この間、さまざまな会合において

地域の多様な立場の皆さんに接する機会がありました。

「雄郡小学校の卒業です。」と言われる方が大半であり、

どなたかが「あの頃は・・・」と語られ始めると、その話に対して別の方が

「そうそう、あれはね・・・」、

さらにまた別の方が「いやいや、自分が通っていた頃は、・・・]と、

話が盛り上がってくることが何度もありました。

児童数2500人近くの時代、校内で迷子になったこと、

プレハブ校舎の窓が閉まらず、すきま風が入ってきて寒かったこと、

運動会のかけっこで親友と競い合ったこと、

友人と毎日いろんな遊びに熱中したこと、

大好きだった先生に、こっぴどく叱られ、また誉められたこと・・・

ささいな一コマや人の名前を皆さん本当によく覚えられていて、

目を細めながら懐かしそうに語られていました。

  

       さて、先日、校外で会があり夕方帰校したところ、

アレンジメントされた大きな花が、校長室のテーブルにドンと置かれていました。

「何ごと?」と思い戸惑っていますと、花束の間にメッセージが添えられているのに気がつきました。

そこには、18年前、私が5・6年生の担任した4名の女子の名前が記され、

私の雄郡小着任へのお祝いの言葉が綴られていたのでした。

ローカルニュースで放映された本校入学式の画像の中で私を見つけ、

連絡を取り合ってプレゼントしてくれたそうです。胸が熱くなりました。

 

  幼少期である小学校時代の思い出の大半は、多くの子が忘れ去ってしまうことでしょう。

しかし、雄郡の子どもたちが、いつの日か、何か困ったことや課題に直面した時、

ふと友達と喧嘩したけど「ごめん」と言い合って仲直りしたこと、

思い切って発表した意見を担任の先生に「すごい!」誉められたこと、

できなかった逆上がりを練習してできるようになった日のこと、・・・

   などを懐かしく思い出し、前を向いて頑張るエネルギーとしてくれるようなことがあったら、

   私たち教師にとってはこんな幸せなことはありません。


2018年4月21日(土曜日)

雄郡っ子の“夢”を育んでいくために

カテゴリー: - hp-admin @ 16時07分04秒

 平成30年度の学校の教育目標を、

 

「夢を持って今、ここを懸命に生きる雄郡っ子の育成」

 

      と定めました。

 本年度、雄郡小では、教職員一同、力を合わせてこの目標を目指して教育活動に取り組んでいきます。

 ここで、この目標に込めた願い・思いをお伝えいたします。

 

〇夢を持って

  人は、を持つからこそ前を向いて生きていけるのだと思います。

  もちろん、誰の人生であっても、順調な時ばかりではなく、時には、

訪れた困難に、その“夢”が押しつぶされたり、八方ふさがりの状況に

へたり込んでしまいたいような気持ちになったりすることだってあるはずです。

夢を持ってとは、そんな苦しみの時においても、気持ちを切り替えたり、

「負けるもんか」と歯をくいしばったりしながら、

「もう少し頑張ってみよう」と思えるような強さを持った人になってほしい、との願いを込めています。

 

〇“今、ここ”

  学校は中学校のための予備校ではありません。小学生の子どもは、

  学童期という人生の一時期を生きている「一個の人格」です。

  私たちは、どうしても将来の保険を用意するかのように、

 「高校生活のために」「大学受験のために」「就職のために」・・・と、

 未来に価値を置いて現在を犠牲にするのも仕方ない、と考えがちになります。

 “今、こことは、一期一会の精神を持って、

目の前の日常こそ大切にしようとする意味を込めています。

喜怒哀楽を重ねながら今、ここを懸命に生きた経験こそが、

その子の人格・能力を形成していき、未来を開いていく力になると考えています。

  学校の教育目標を実現していくためのスローガンとして、

 

「ストーリーのある教育実践」

 

というテーマを掲げています。

「分からなかったことが、調べ、話し合い、教えてもらい、分かった。」

「できなかったことが、何度も練習して、できるようになった。」

「けんかした子と、一緒に遊んだり勉強したりして、仲良くなった。」

「気に留めていなかった自然の風景や社会の出来事について、

 いろいろなことを知って、疑問や興味を持つようになった。」・・・

これらが、学校で目指す子どもの学びのストーリーです。

子どもたち一人一人が、こういった小さなストーリーを重ねながら、

自分を信頼し自信を持って、やがて大きな夢と目標を形作っていってくれることを願っています。

 以上、本年度の教育方針ともいえる「学校の教育目標」について説明させていただきました。

 保護者及び地域の皆様とともに、雄郡の子どもたちのを育んでいきたいと思います。

 

 

 

 

 


2018年4月16日(月曜日)

平成30年度のスタートにあたって

カテゴリー: - hp-admin @ 20時17分26秒

 

平成30年度の幕が開き、子どもたちの活気ある声が雄郡小学校に戻ってきました。

私は、この4月より校長を務めさせていただくことになりました

「田頭 良博(たがしら よしひろ)」と申します。どうか、よろしくお願いいたします。

 

 春風や闘志いだきて丘に立つ  高浜虚子

 

 始業式の子どもたちへの話の中で、私はこの俳句を紹介しました。

 この句は、師と仰いでいた正岡子規の築いた俳句の伝統を守り発

展させようとする、虚子の決意が表れたものと伝えられています。

 子どもたちに話したのは、進級にあたり、「しっかりと自分の夢・目標

をもってほしい」と言うことです。

「毎日読書をする。」

「計算がすらすらできるように練習をする。」

25メートル泳げるようになる。」

 どんな小さな目標でもいいから、自分で「これを頑張る。」ということを決めてほしいと話しました。

小さな夢や目標を超えていく経験の積み重ねが、やがて一人一人の「人生を生き抜いていく力」と

育っていくことを願っています。

子どもたちのその道標となるべく、雄郡小教職員一同、力を合わせて取り組んでまいります。

どうか、よろしくお願いいたします。

 

                            校長  田頭 良博

 

本「校長室より」では、子どもたちの日々の活動をお知らせしている「雄郡小日記」とは

やや視点を変えて、校長として、学校の教育活動から考えたことや、学校づくりへの思いや

考えなどを随時綴ってまいりたいと思います。

 

 

 

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