校長室より

「そのままでいいんだよ。」「そのままではいけないだろ。」

 校内研修の場で、先生方に問いかけてみました。

A 癒しの教育観

 「そのままでいいんだよ」

B 叱咤激励の教育観

「そのままではいけないだろ」

あなたは、どちらの立場に立ちますか? と。

 

 乱暴な分け方であることは承知していますが、世で語られる教育論、子育て論は、突き詰めていけば、このA・Bのどちらかに立脚していると私は考えています。
 Aは、全人格をそのまま肯定し、世界で唯一無比のありのままの姿として子どもを捉える考え方ですね。他者と比較され、「劣っている」と感じてしまって自己肯定感を持てずに傷ついている子にとって、この姿勢は「今のままの自分でいいんだ」と自分を赦す力になるでしょう。

 Bは、多くの指導者の持つ思いですね。この、周りからの励ましがなくては、開花するはずの能力が低いままでとどまったり、拓けてくるかもしれない新しい「世界」を感じないままに終わったりするかもしれません。「もう一歩前へ!」「あと少し頑張れ!」との叱咤激励により、子どもは前を向き自分の力を伸ばしていくのでしょう。

 

 先生方には、あえて手を挙げてもらったりはしませんでした。「どちらともいえない」という方が多数であるに違いないと考えたからです。

 しかし、数日後、別の件で、あるベテランの先生と校長室で懇談していますと、急にこの時の話題を話始められました。

 

「私は、どっぷりBでした。」

 先生は、少し恥ずかしそうに話されました。今回、この2つを突き付けられて、「感じていたことだけれども、Aの視点の大切さを改めて考えた、とのことでした。

“這えば立て立てば歩めの親心”

 昔のことわざにもあるように、親も教師も、基本的にBの立場で子どもを育てているはずです。そして、今は細い新芽のような子らが、やがて大木のようにたくましく育ってくれることを願っています。

 しかし、いつも、その根っこに、Aにあるような、“今、ここ”の子ども姿をしっかりと認め称える姿勢を持っておきたいものです。それがないところにいくら叱咤激励しても、子どもにとってはただの重荷になるでしょう。

 

「周りの人があなたを悪く言っても、私はあなたのよさを知っている。大丈夫だから!」

 保護者、教師、すべての「身近にいる大人」は、こういう思いをいつも持って子どもに寄り添っていかなくてはならないと思います。

 

*K先生と6か月になった赤ちゃんが会いに来てくれました

子どもは未来への贈り物

 

【エピソード①:教え子は、先生になりました。】

何度かお知らせしていますが、毎朝、各教室からは「体操動画」のリズムと、子どもたちの足踏みの音が響いてきます。

さて、この体操動画の中心に立って動きをリードしているのは、本年度本校に異動してこられたK先生ですが、このK先生は16年前の私の教え子です。小学生のころから、体を動かすことが大好きで元気はつらつとしていましたが、それが高じて学生時代は創作ダンスに熱中していたとのこと。いつも満面の笑顔で子どもを指導している教室での姿に、感無量です。

「雄郡っ子かわいいです。」と話すK先生は、日々頑張っています。

 

【エピソード②:教え子は、お母さんになりました。】

5月の休業期間中、学校近くの大型スーパーで昼弁当を買ってレジに並んでいますと、隣の列の幼い女の子を連れたお母さんが、私を不思議そうに見てきます。

私のマスクに何かついているのかと心配した瞬間、「田頭先生ですよね」と一言

教え子だとは直感したのですが、誰かわかりません。もちろん名前も浮かびません。私の脳内は、一気に、そのお母さんの推定年齢とその時代に担任した子どもたちの顔が駆け巡ります。

「あ!!!」と分かったと同時でした、

「Aです。Aです。」と、彼女は名前を自分から言ってくれました。

その頃3年生だったAさんです。すぐに、陽気で負けず嫌いだった教室での姿が浮かんできました。

「せんせー、かわりませんねー」

私はその後転勤しましたので、目に残っているのは3年生の時の様子だけです。姿・形は大きく変わっていましたが、素敵な笑顔とやさしい声は、あの頃のままでした。

 

【エピソード③教え子は、取材に来ました。】

1昨年度、1学期の始業式でした。某テレビ局が式の取材にやってこられました。

「こんにちは。よろしくお願いします。」と私が挨拶をしたところ、その女性の記者さん、出会った瞬間、「田頭せんせー」と驚きの表情です。20年前の教え子です。

さて、先日の休業期間中、分散登校の始まりの日、彼女は久しぶりに雄郡小に取材に来ました。

カメラが回る中、マイクを手にして私に質問してきます。

「感染症予防について、校長として気を付けられていることは何ですか?」

「今後、教育活動をどのように工夫していきますか?」

するどい質問に、私は大汗をかいてしまいました。

 

 

教え子と再会するたびに、時の流れの速さを感じてしまいます。子どもは、「世界」からさまざまなことを学びながら日々成長しています。そのスピードは、まさに若竹のようです。

 

私の着任と一緒に雄郡小に入学してきた子らは、授業中教室の後ろでひっくり返ってゴロゴロしたり、お母さんと離れるのがいやで泣きじゃくりながら登校してきたりしていた子もいました。今、彼らは3年生になりました。そして、見違えるようにシャンとしています。

数日前、ある学級に入っていきますと、2年前は私の姿が見えるといつも「こーちょーせんせいだー」と大声で叫んでいたある女子を見つけました。近づいて横から覗いてみますと、理科のノートに「感想」を書いていました。私が「しっかり書けたね。字もきれいだね。」と声を掛けますと、彼女は「ありがとうございます。」と丁寧に答え、ちょこんと頭を下げてくれました。胸が熱くなりました。

 

子どもは未来への贈り物。

この子らとも、10年後ぐらいに、どこかで出会うことがあるかもしれません。その時にちゃんと思い出せるように、頭と体を鍛えておかなくては、と思う毎日です。

 

心を通わせみんなが笑顔になる方法はいくらでもある

 学校再開から3週間ほど過ぎました。

 再登校後の数日は、ややうつむき加減であった子どもたちに、笑顔が戻ってきました。

 

 1年生の教室

 どうやらテストをしているようなので、私は後方からそーっと覗きます。

しかし、すぐにA君が見つけます。

「こうちょうせんせいだー」その声で、もう大変です。

「Bせんせー、こうちょうせんせいきたよー」「あー、こうちょうせんせいだー」「おはようございまー」

 担任のB先生、おそらく、静かに考えさせたかった場面だったのでしょう。沸き立つ子どもたちの様子に、少々複雑な笑顔。

 それでも、「みんなで、校長先生に御挨拶しましょう。小さな声でね。さん、はい!」と呼び掛けてくれます。

 「おはよーございます。」

 子どもたちの温かい笑顔が光っていました。

 

 5年生の教室

 算数の時間です。

 C先生のある問いかけに、子どもたちがマスク越しに次々と答えます。止まりません。

子どもたちの声は次第に高まってきます。

「わー!」と沸いてきた場面、C先生は笑顔で両手を「さっ!」と広げます。子どもたちの声はピタッと止み、一斉ににこやかな含み笑い。

微笑ましい光景に、こちらも嬉しくなりました。

 

 雄郡小日記にも書いていますが、先生たちは、子どもたちの体力不足を補うための「体操動画」を創作しました。

 すでに15作品以上が完成し、毎朝、各教室からは、軽快なリズムとともに、元気いっぱいの足踏みの音が響いてきます。

休み明けにはフーフーと息を鳴らしていた子らも、笑顔で体を動かしています。

 

 正門と東門の2つの校門には、朝、花を飾ったアーチが掲げられています。運営委員会の子らが、「登校時にうつむいている子が多いので、顔を上げてもらえるように」と考えたとのこと。素敵な発想に感動です。

子どもたちはホッとした笑顔を見せて校門をくぐってくれています。

 

「大きな声を出さなくても、近くに寄らなくても、心を通わせみんなが笑顔になる方法はいくらでもある。」

 私は、子どもたちと先生たちに、そんな大切なことを教えてもらっています。

「共に笑う教室」を目指して

 先週の木曜日、分散登校の下校時、1年生が飼育小屋の前に集まっていました。それを見ていた私を見つけた学年主任のY先生、「みんな、今日は校長先生とさよならしましょう。」と呼び掛けてくれました。

「さようならー」、

元気いっぱいの声が響きます。

 

いい気持ちになったその時、一人の男子が

「頭が白いー。おじいさんみたい~」

と私に向かって一言。

突然の言葉に、Y先生は、リアクションに困って固まっています。「なん言よんよ。」「おじいさん違うよ、校長先生よー」と数人の女子が声を返します。

 子どもたちがモメたらいけないので、私は引きつった笑顔を隠しながら、さっと退散しました。

「毎日1年生教室を訪問して、若々しい姿を見せつけねば」、と心に誓ったのでした。

 

 笑顔と元気いっぱいの1年生。この子らが成長していく姿を見つめていくのが楽しみです。

 

 さて、昨日の放課後、先生たちに、「子どもたちは、全体的に少し元気がないみたいですね。」と投げ掛けてみました。すると、みなさんうなずきます。私の感じた印象は、どなたも同じだったようです。長い休みの間、昼間は、きょうだいだけ、あるいは1人だけで過ごしてきた子も多いはずですから、仕方ないことなのでしょう。

 

 先生方には、「最低1日1回、教室で笑わせてください。」とお願いしました。

 人は誰でも、一人で泣くことはできても、一人で笑うことはなかなかできません。子どもたちに今必要なのは、「共に笑う」ということだと思っています。

 保護者の皆さま。ぜひ、お子さんが帰ってきたら、「今日楽しかったこと」を聞いてあげてみてください。 

昨年度のスナップより

 

 

 

雄郡っ子の笑顔が帰ってきました

長い臨時休業が終了し、雄郡小学校に子どもたちが帰ってきました。

朝、登校を見守っていますと、久しぶりに会ったということもあるのでしょうが、多くの子が、少し緊張気味の様子。けれども、どの子もはにかんだような笑顔で「おはようございます!」と、素敵なあいさつをしてくれました。

 

テレビでの朝会で、「学校に来て、みんなに会えて、うれしい人!」と問いかけると、どのクラスも全員がさっと手を挙げてくれたとのこと。

子どもたちに、「先生たちは、みんなみんな、今日の再会を、わくわくして待っていました。」と伝えました。これは、すべての教職員の思いです。

 

授業が始まりました。

教室から、マスクによって少しこもった声ではありますが、「はーい!」の声が聞こえてきます。

「ドンドン!」と床に響く音は、若手教員が創作した「体力づくり動画」を見ながら体操をしてるのに違いありません。

音楽室からは、久しぶりにピアノの心地よい音が流れてきます。

 

これから、子どもたちの命と健康をしっかりと守りながら、雄郡小の「日常」を一歩一歩取り戻していきたいと思います

 

頑張りましょう

 卒業式と始業式・入学式は実施したものの、臨時休業はもう2か月近く続いています。美しく咲き誇っていた桜やチューリップの花びらが、子どもたちが登校していない間に散っていく様子を見ていると、なんともやり切れない思いになります。

「大切なものは失くなってみて初めてわかる」、とは、よく言われる言葉ですが、今回の出来事で、私たちは、当たり前のささやかな日常というものが、いかに大切なものなのかを思い知らされました。

 

 子どもたちは、元気に生活していますか?

 へこたれずに勉強や運動をしていますか?

 とても心配しています。温かく励ましてあげてください。

 

 教員たちは、毎日、子どもたちの姿を思い浮かべながら、授業や活動の計画・準備に取り組んでいます。

 どの教員も、学校再開時、必ず、「会いたかったよ。」と最高の笑顔で迎えます。そして、「学校っていいな。」と思えるような教育活動を展開します。どうか、そのことをお子さんに伝えてください。

 

 見通しがなかなか立たないのは、とても苦しいですね。

 皆さま、お互いに、もうしばらくの間、頑張りましょう。

 

 

本年度も、よろしくお願いいたします。

 令和2年度が始まりました。

 

 始業式では、子どもたちに、「負けないで!」という言葉を贈りました。

 一つは、もちろん「新型コロナウイルスに負けないで!」です。手洗い・うがい、外に出る時はマスクの着用を伝えました。お子さんはもちろん、御家族皆さんの御健康を祈っております。

 もう一つは、「自分の弱い心に負けないで!」です。長い休みがさらに続きますが、だらだらしたり、ゲームばかりしてしまったりするような弱い心に負けないように伝えました。担任からは、計画的に学習ができるよう、課題を出しております。規則正しい生活と学習がなされるよう、御家庭でも支援ください。

 

 また、今日は入学式でした。80名の新しい雄郡っ子の誕生です。

 式辞の中で、私は、演題の横に並べてあったチューリップの鉢植えを取り、

 「雪が降るような寒い寒い冬を過ごしたチューリップこそが、大きなきれいな花をつけるんだよ。」と話しました。

 そして、自宅での生活について、

「今、みんなは、自分のことを、冬を我慢するチューリップの球根だと思ってね。そして、学校に来れるようになったら、このチューリップのように、思い切り手を広げて元気に勉強や遊びをしようね。」と伝えました。

 キラキラの目をした1年生たちは、「はい!」と返事をしてくれました。

 

 年度末、子どもたちや保護者の皆さまと、「大変だったけど、何とか乗り切れましたね。」と笑顔で語り合えることを信じて、新年度の御挨拶といたします。本年度、どうかよろしくお願いいたします。

        校長 田頭 良博

 

1年間、ありがとうございました

「雄郡小学校、さようなら。そして、ありがとう。」

 今日の卒業式で児童代表のSさんが朗読した、「お別れの言葉」の最後の言葉です。

彼女は、その瞬間涙声になりましたが、ぐっとこらえ、静かに噛みしめるように語ってくれました。体育館に、静かな感動が広がりました。

卒業生の皆さん、卒業おめでとう。

皆さんは、心穏やかで、笑顔が素敵でした。

みんな元気で。これからも頑張ってね。

 

令和元年度が終了します。コロナウイルスの影響で、突然の休業を余儀なくされた年度末でしたが、こうして大きな事故等もなく1年の締めくくりができました。保護者の皆様、そして本校教育を支えてくださったすべての方に感謝し、共に喜びたいと存じます。

 

「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」

 

これは、唐の詩人 于武陵(うぶりょう)の漢詩「勧酒」を、作家の井伏鱒二氏が意訳したものの一節です。

6年生は卒業。そして、1~5年生の子どもたちは、それぞれ今の学級とお別れして1学年進級します。私たち教職員にも人事異動があり、何名かが本校を去っていきます。まさに、生きていくということは、「さよならを繰り返していくこと」ですね。

しかし、この3月の悲しい別れを乗り越えれば、子どもたちはもちろん、私たち大人にも、きっと素敵な出会いが待っていることと思います。お互い、それを楽しみにしていましょう。

 

皆さま、本年度、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 

                    校長 田頭 良博

 

 

「雨ニモマケズ」~巣立っていく6年生へ~

 27日の木曜日、夕方に臨時休業のニュースが流れた日の午前中、私は、6年生の1組・2組で、それぞれ国語の授業をしました。教材は、宮澤賢治「雨ニモマケズ」

 

 展開は2つの学級で変えましたが、共通して子どもたちに問うたことは2点です。

 1つ目

 〇 なぜ、賢治は、こういう損をするような生き方に対して、「ワタシハナリタイ」と思ったのか。

 2つ目は、

 〇 あなたもそういう人に「ナリタイ」と思うか。

 

 話し合いの中から、さまざまな感想が出てきました。

 〇 自分はなれない。しかし、「そういう人になりたい」と思える気持ちがすごい。

 〇 「ジブンヲカンジョウニイレズニ」って、弱いと思ったけど、実は強いってことなのかもしれない。

 〇 私は勇気がなかなか持てないけど、いつかこんな人間になれるように努力していきたい。

 

 思春期の始まりである6年生のこの時期、低学年期とは違い、どの子にも照れや迷いがあります。いろいろな思いはあっても、それを率直に話したり書いたりできにくいものです。しかし、多くの子が、そういう殻を破るかのように、とつとつと、静かに、「自分の生き方」について考え、また語ってくれました。担任からは、「それぞれの子が、それぞれの言葉できちんと自己開示をしてくれていて感動しました。」と言葉をもらいました。後、半日遅れていたら、この授業は実施できなかったでしょう。間に合ってよかった、と心から思っています。

 

 この「雨ニモマケズ」は、世に発表されたものではなく、賢治が亡くなった後に彼の手帳の中に書き殴られていた詩です。誰にも見せずに、ただ自分自身への励ましのように「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と念じた賢治の思いが、巣立っていく子どもたちの心に少しでも残ってくれたら幸せです。

 

 今日は、修業式、そして6年生とのお別れの日です。

 すべての子どもたち、そして私たち教職員にとっても、素敵な一日となりますように・・。

 

 

「おもいやり算」

 校舎内を歩いていますと、6年生の廊下に、手作りの掲示物が貼ってありました。

 題は「おもいやり算」

 

「+」…たすけあうと、大きな力に

「-」…ひき受けると、喜びが生まれる

× 」…声をかけると、一つになれる

 ÷ 」…いたわると、笑顔が返ってくる

         (出典:ACジャパンCM)

 どうも、テレビのCMで流れていた言葉のようですが、とても素敵な言葉だと思いました。

 

 今、5年生以下の子どもたちは、「6年生を送る会」の計画を始めたり、縦割り班やクラブ・委員会の6年生にお別れの言葉を書いたりしています。逆に、6年生の教室では、今日、「下学年の子へ」「親へ」「〇〇さんへ」・・・の感謝の手紙を書いていました。お互いの便りが到着したときのことを思うと、こちらまで嬉しくなってきます。

 

 先日、来年度入学の入学説明会が開かれましたが、私は挨拶の中で、「学校の、いい雰囲気も心配な雰囲気も不思議と受け継がれていくものです。」と申し上げました。

 子どもたちの「おもいやり」の心情は、雄郡っ子の中にしっかりと伝承されていくと信じています。