校長室より

運動会に寄せて

 この22日(土)、平成30年度運動会を開催いたしました。

数日前から雨模様で、当日未明においても時折雨が降っていましたが、まもなく快方に向かうとの天気予報を信じ、予定通り実施いたしました。

子どもたちの願いが天に通じたのでしょう。みるみる空は晴れていき、午後にはポカポカ陽気となりました。ご観覧いただきましたご来賓・保護者・地域の皆さま、ありがとうございました。

 

 1・2年生の「かけっこ」は、何度見てもわくわくしてしまいます。

 「よーい」の時のまんまるに開いた真剣な目。ゴール前の歯を食いしばった表情。そのひたむきな姿を見ているだけで嬉しくなりました。

 3・4年生の団体競技は、とにかく楽しかったです。

 大きさは違いますが、どちらもボール(玉)を使ったものでしたが、思い通りにならないボールの動きに熱中する姿に、会場からは大きな歓声が上がっていました。

 5・6年生の表現は、私たち観る者を感動させてくれました。

 体全体を揺り動かして熱い思いぶつける5年生のソーラン節。難しいステップと隊形移動をしながら、満面の笑顔で踊ってくれた6年生のダンス。どちらも、まさに「美しい」という言葉がぴったりの姿でした。

 

 さて、運動会終了後の終礼で、第三者としての感想を聞きたいと考え、実習生さんたちに話していただきました。以下、ご紹介します。

 

(実習生Aさん:愛媛大学教育学部2回生女子)

 母校の運動会に参加できて嬉しかったです。2週間前の実習時の、子どもたちの練習の姿を覚えていますが、本番の動きは格段にすばらしくて感動しました。

(実習生Bさん:愛媛大学教育学部2回生女子)

 自分が小学生の頃を思い出しました。このような大きな行事の陰では、先生たちがいろいろな準備や大変な作業をしていることがよく分かりました。

(実習生Cさん:愛媛大学教職大学院2年男子)

 子どもたちの真剣な演技がすばらしかったです。準備係として、へとへとになるほど働かせていただき、とにかく疲れました。いい汗をかきました。

(ALTキーラン先生)

 中学校の運動会にも参加したことがありますが、中学校に比べ、小学校ではいろいろな華やかで楽しい種目があるなと思いました。自分も思い切り楽しめました。

 

 閉会式での子どもたちは、とても清々しい表情をしていました。1学期後半から準備・練習を重ねてきた成果を、自分たちなりに発揮した満足感で一杯だったのでしょう。 

 

 ご来賓としてお越しいただいた遠藤前校長先生。お帰りの際、目を赤くされていました。「よかった」と、心から思いました。

 

 参加者のどなたとっても、それぞれに素敵なストーリーが生まれた運動会であったようです。ご協力・ご支援いただきましたすべての方に、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

 

たった一言で人は前を向いて生きていける~子どもにとっての素敵な「縁」に~

 今月12日、PTAの皆さま主催の「坊っちゃん学習会」という会があり、保護者の方々にお話をさせていただきました。そこでの内容を、改めて紹介させていただきます。

 

 島秋人という名の歌人をご存じでしょうか。

 毎日歌壇賞受賞をはじめ、新聞の短歌欄で数多く入選し、歌集も出版している歌人です。

 ただし、今はこの世にいません。彼は、殺人を犯した罪で死刑となったからです。

 

 島は、幼少期を満州ですごし、敗戦により父母と新潟県柏崎に引き揚げてきました。警官をしていた父親は公職追放となり、母親は過労がたたって結核を患い死亡します。彼自身も虚弱で重傷のカリエスを患い、7年間もギブスをはめています。

 小中学校の9年間、成績はつねに最低であり、0点を取ったときは教師に「低脳!」とののしられて暴力を振るわれます。

 大好きな母親をなくし、父親にも冷たくされ、友人もなく、教師にもいじめられ、極貧の生活を送る島は、次第にひねくれていきます。そして、盗み等の犯罪を繰り返すようになり、とうとう少年院に入れられます。

 「少年院出」のレッテルを貼られた彼を、雇ってくれる職場はありません。金もなく、飢えに耐えかねた島は、とうとう民家に押し入り、そこの主婦を殺害して金銭を奪ってしまうのです。

 

 「情状酌量の余地なし。」

 これが死刑宣告の時の裁判官の言葉です。

 彼は、拘置所の壁を見つめながら考えます。「自分は何のために生まれてきたのだろう」と。

 

 孤独な島は、刑務所の図書館で、絵を描くことで心を癒やされていく少年のことを書いた、開高健著『裸の王様』を読みます。そして、思い出します。“自分のことを、ほめてくれた先生がいた”ということを。

 

 中学校時代の美術の時間です。

 担当の吉田という先生が、彼の横を通りました。そして、先生は、その時、何気なく「絵は下手だけど構図がいいね。」と声をかけたのです。

 

 島は、手紙を書きます。人生の中で、母親以外で唯一自分のことを認める言葉を発してくれた吉田先生に宛てて。

 「あの時ほめてくれて嬉しかった」と。

 

 死刑囚からの手紙など迷惑なことだろう、不気味に思われるだろう、と返事は期待していなかった島の元に、分厚い封書が届きます。吉田先生からの返信です。その便りには、島への共感と同情の思いが綴られており、その慈愛に満ちた文面に島は涙したそうです。そして、そこには、吉田先生の奥様の作られた短歌が、3首同封されていました。

 

 嬉しくなった彼は、すぐに返信を書きます。そして、奥様に対しては、見様見真似の自作の短歌を作って同封しました。このやりとりをしながら、彼の才能を見抜いた奥様の励ましで、島は短歌の創作・投稿活動に没頭し、やがて選者で歌人の窪田空穂氏の目にとまり、権威ある毎日歌壇賞まで受賞することになるのです。

 

 島の残した歌集「遺愛集」から、いくつか紹介します。

 

 ・子を四人授かる相と愛しむをわがてのひらは寂しかりけり

 ・握手さへはばむ金網目に師が妻の手のひら添へばわれも押し添ふ

 ・生まれ来しいのち愛しむ夜の更けを亡母に添うごとうつぶせに寝る

 ・温もりの残れるセーターたたむ夜ひと日のいのち双掌に愛しむ

 (島秋人 著 「遺愛集」東京美術発行 より抜粋)

 

 どれも、何と悲しくも愛おしい温かさに包まれた歌でしょうか。わびしさと切なさが入り交じった心象風景、そして彼の人間愛がひしひしと伝わってきます。人を殺めた死刑囚が作った短歌とは、とても信じられません。

 

 死刑執行の前の日の歌が、次の短歌です。

 ・この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し

 (島秋人 著 「遺愛集」東京美術発行 より抜粋)

 

 「識らず来て」の一節が、とても悲しい思いがします。「識らず」にしてしまったのは、周りの大人です。彼を認め励ます者が、ほんの少しでも彼の身近にいれば、こんな不幸はなかったはずです。

ただ、救われるのは、「夜温し」の言葉です。島は、穏やかで澄み切った心境となって、この世を去っていったのでしょう。

 

 人間のさまざまな行動について、私たちは善悪を判断し、時に断罪し時に褒め称えます。

 人を殺してはいけない、というのは私たちの社会で当たり前のことであり、殺人を犯した者はその罪を背負うべきです。さらに言えば、殺人でなくとも、すべての犯罪・違法行為は社会から嫌悪されていくべきです。

 しかし、大半の人間がそういう犯罪行為をしないのは、その者たちが犯罪をしてしまう者より道徳的に高い徳性を持っているから、あるいは理性的であるから、とは簡単には言い切れないと思っています。

 もし彼が、違った境遇に生まれて違った『縁』を紡ぐことができていれば、自分の持つさまざまな力や人間性を開花させていったはずです。そして、人を愛し人に愛される、穏やかな人生を送ったはずです。

 

 教育・子育ての環境づくりというのは、子どもたちにとっての、この『縁』というものを、少しでも素敵なものに整えていく営みですね。そして、その中でも、吉田先生の何気ない一言が島を変えたように、日常のささいな振る舞いや言動が、実は子どもの成長にとって一番重要なことなのかもしれません。人は、たった一言で、元気になったり、自分を振り返ったり、何かに興味を持ったりするのです。もちろん、逆に、立ち直れないほど傷つくこともあるのです。

 

 保護者の皆様も、私たち教師も、子どもに投げかける言葉のシャワーの中に、その子の人生を支えるような宝を残したいものですね。お互い、子どもにとって、素敵な“縁”になりたいですね。

 

 

 【参考】

  ○「遺愛集」島 秋人 著 東京美術発行

  ○「死刑囚島秋人-獄窓の歌人の生と死」海原 卓 著 日本経済評論社発行

  ○ウィキペディア「島秋人」

 

 

みんなも多くの人の優しさに包まれているんだよ(9/10)

               みんなも多くの人の優しさに包まれているんだよ

                                          ~「月」のお話に寄せて~

 

 先日、集会で子どもたちにお話をしました。お題は「十五夜」です。(「15の夜」ではありません。為念)

 

 月のいろいろな形を画像で示して、

 「何で丸くなったり欠けたりするのかなあ?」

と問いかけますと、多くの子らが手を挙げようとします。とくに4年生は、自信たっぷりの様子です。

確認したところ、この9月は、ちょうど理科で勉強している最中のようです。

 1年生の方を向いて、

 「欠けていくのは、ネズミがかじっているのかな。」

と言いますと、「えー」「ちがうよー」と、たしなめられてしまいました。

 「どうしてなのか、調べて分かったら、担任の先生に伝えてね。」

と言いますと、「はーい」と元気な声が返ってきました。

 

 中秋の名月のことを話し、「1年で、月が一番きれいと言われている日。」と説明しました。

 今年は9月24日です。休日の日ですね。

 この日、

 「今夜は中秋の名月だよ。」

とお子さんが言ってくれたら、どうかほめてあげてください。

 

 その後、この十五夜にちなんだ童話を読み聞かせました。

 題は、「ぽんぽん山の月」。

 町に出かけた母ウサギを、4羽の子ウサギたちが待っているのですが、実は母ウサギは猟師に撃たれて死んでしまっているのです。

月の光の中に母ウサギの姿を重ねて「おかあちゃん、おりてきて」と呼ぶ子ウサギを哀れに思ったやまんばが、

町で買った団子をそっと置き、子ウサギは母ウサギがくれたものと考え喜ぶのです。この様子を、「風の子」が、

そしてそのすべてを十五夜の月が見つめている、というお話です。

 

 あまりにも悲しくて切なくて、そして温かいお話です。

 子どもたちに感想を聞きますと、

  「おだんごをやまんばが置いてあげて、子ウサギたちが喜んで嬉しかったです。」

  「やまんばは、悪い人という感じがしていたのだけど、この話のやまんばは、すごく優しいです。」

と答えてくれました。

 

 「子ウサギをやまんばが見守り、それを風の子が見守り、それをお月さんが見守っている。とても優しい温かいお話だったね。」

そう語りかけますと、子どもたちは、大きくうなずいてくれました。

 

 温かい思い・優しさは連鎖し広がっていくってこと、自分も多くの優しさに包まれて育ってきたってこと。

これらを子どもたちが感じてくれたら幸せです。

 

【参考】

    「ぽんぽん山の月」(著者:あまんきみこ 文研出版)

 

2学期のスタートに寄せて~教育の核となる4つの視点~ (9/3)

                     2学期のスタートに寄せて~教育の核となる4つの視点~

 

  子どもを指導していく核として、私は、「情」「理」「形(型)」「実(利)」の4つの視点があると考えています。

そして、どの教師も、どれかを自分の教育観の基盤としており、状況に応じてその4つを組み合わせて教育活動を行っているはずです。

 

「あいさつ」を例に取ります。

 

〇 「情」…あいさつの心地よさや気持ちよさを情的に感じさせる。

 ・ あいさつは、してもされてもいい気持になるね。

〇 「理」…あいさつの大切さを理屈として理解させる。

 ・ あいさつは、人と人とのつながり・コミュニケーションづくりのために大切だよ。

〇 「形(型)」…とにかく「あいさつをする」という行動を定着させる。

 ・ 人に会ったら、目を見て大きな声であいさつしよう。1日10人に挨拶しよう

〇 「実(利)」…あいさつによる良好な人間関係づくりや心地よさ等の「効果」を理解させる。

  ・ あいさつをし合うことによって、知らない人とも仲良くなれるよ。

 

 先日、夏季休業中の校内研修で、本校のそれぞれの先生に、「自分が教師として特に大切にしたいこと」として、

この4つの視点の中から一つを無理やりに選んでもらいました。

 

その結果は以下の通りです。

 ・ 「情」…約40パーセント

 ・ 「理」…約20パーセント(※ちなみに、教頭先生と私はこれを選びました。)

 ・ 「形(型)」…約15パーセント

 ・ 「実(利)」…約25パーセント

 

 手前味噌で恐縮ですが、本校の先生方、見事な調和だと思いました。

子どもを育てていくには、熱い情熱が必要です。

しかし、しっかりとした理屈を心から納得させなくてはなりません。

 正しい形(型)や方向・行動が身に付くようにしてやらなくてもいけません。

「こんなに役に立った。自信が持てるようになった。」と、学ぶ喜び・意義を感じさせなくてはなりません。

すべてが大切なことであり、その状況に応じたバランスある指導が、子どもを豊かに育てていくのだろうと思います。

 

 今日は、第2学期始業式でした。私は、次の2つを子どもたちにお願いしました。

 〇 感謝の気持ちを持って生活しよう。

 〇 何事も最後まで頑張ろう。

 自分なりに、上記4つの視点を織り交ぜて語ったつもりです。

 

 第2学期が始まりました。今学期も、雄郡っ子とともに、教職員一丸となって、素敵なドラマを作っていきます。

 

子どもの「伸びる力」を信じる(8/31)

夏休み号 第3号     

                      子どもの「伸びる力」を信じる

  

 あるアメリカの小学校で、研究者が、学級担任に、「検査の結果、数か月後に成績が伸びると判定された児童」の名簿を手渡したところ、

本当にそれらの児童の成績が伸びていたそうです。

 それはそれで、もちろんいいことなのですが、実はその検査というのは、成績が伸びるかどうかの判定などできるものではなく、

児童名も全く無作為に選んだ子らであったのです。

 

 なぜこんな不思議な結果が生じたかというと、担任が、名簿に示された子らに対して、「この子は伸びる」と信じ切ってしまったために、

発する言葉かけや指導の手順などが、本当にその子らを伸ばし育てるような、きわめて適切なものになっていったのではないかということです。

 

 このような、「教師等の周りの大人が、子どもを信じ温かい姿勢で接することにより、学力成績等が伸びていく」という現象を、

ピグマリオン効果といいます。

 

 この現象の信頼性において、さまざまな反論もあるようですが、たった一言の励ましで、やる気になりぐんぐん成績を伸ばした子どもを

何人も見てきた私としては、まさに教育現場における真実であると実感しています。

 

 「大丈夫。君は伸びるよ。」と信じ切っていれば、少々のつまずきやミスに対しては、「どうしたの? 君の力はそんなもんじゃない。」

という思いが湧き、自然な励ましの言葉や態度が生まれるはずです。

 もし、その子のことを「無理だろうな。」「難しいだろうな。」などと考えていれば、伸びる力を削ぐような言動も出てきかねません。

 「子どもたち一人一人の伸びる力を信じ切る」という姿勢は、保護者の皆さまや教員、子どもの成長の支援にあたる者の根本的な姿勢であるべきですね。

 

 

 先日、2学期を前にした職員会議を行いました。

 「【チーム雄郡小】として、子どもたちの伸びていく姿の把握に努め、それをさらに伸ばす言葉かけ・働きかけを実践していこう」

と、全教職員で確認し合いました。

 

 2学期が始まります。

 保護者の皆さま、地域の皆さま、共に「雄郡の子どもの確かな成長」を信じ切り、支え合っていきましょう。

終戦記念日に寄せて(8/15)

夏休み号 第2号

        「終戦記念日に寄せて」

 

  太平洋戦争が終結して73年です。

あの戦争により、日本人だけで、軍人・軍属・民間人を合わせて300万人近くもの尊い命が失われたことに思いを馳せるとき、

戦争の悲惨さと平和の大切さを改めて感じずにはいられません。

 

 戦争を考えるとき、どうしても思い出してしまう個人的な逸話をお話しします。

 

  私の父親は教師をしていたのですが、私が1~2歳の時、石鎚の山奥の村の旧石鎚村、

石鎚中学校という学校に赴任していました。もちろん一家でです。水道も電気も通ってなかったそうで、

私は覚えていないのですが、そこでの教員住宅での暮らしはかなり大変だったようです。

 

  私は、若年の頃から、自分が赤子の時期を過ごしたこの石鎚中学校跡を訪ねたいと思い、

何度か車で探したのですが見つからず、あきらめかけていました。しかし、かつての同僚に西条市出身の者がいて、

いろいろと調べてくれ、数年前に、やっとその跡地を訪れることができました。

 

 石鎚山系の一つの谷に位置するところに、その跡地(といっても、石碑が建っているだけですが。)はありました。

まさに、「こんな所に学校があるのか。」「本当に、ここの人が住んでいたのか。」という感じの山奥です。

 

 この廃村・廃校のことについても思うところがありますが、今日のテーマはそのことではありません。

その石鎚中学校(石鎚小学校も同じ敷地内)の跡地を示す石碑の横に、供えられていた説明書きのことです。

 

  関サカエさんに向けての言葉が、そこには綴られていました。

 関サカエさんは、神風特攻隊第1号と言われる、西条市出身の「関行男」大尉(※戦死後2階級特進で中佐となる)のお母さまです。

 

  関大尉は、敗戦の色が濃くなった時期のレイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の隊長として特別攻撃を行い、

アメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈したことで、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰されます

 

  関大尉の遺書(※ウィキペディア「関行男」より引用)

 

 父上様、母上様

 西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけし、不孝の段、お許し下さいませ。

今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにすぐることはありません。

鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき、その御恩に報いる事も出来ず征く事を、

御許し下さいませ。本日、帝国の為、身を以て母艦に体当たりを行ひ、君恩に報ずる覚悟です。皆様御体大切に

 

  満里子殿

 何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対して誠にすまぬと思って居る

 何も言はずとも 武人の妻の覚悟は十分出来ている事と思ふ 

 御両親様に孝養を専一と心掛け生活して行く様

 色々と思出をたどりながら出発前に記す

 恵美ちゃん坊主も元気でやれ

 

  教へ子へ  教へ子よ散れ山桜此の如くに

               (以上、引用終わり)

 

   爆弾を抱えて敵艦に体当たりしていくという悲壮感と覚悟、そして両親及び妻等の家族への愛情が溢れた遺書であり、

 読む者は圧倒されてしまいます。

 

  こうして息子の行男氏は、太平洋に散っていく訳ですが、残された母親サカエさんは、

当初「軍神の母」として称えられます。家の門前には、「軍神 関行男 海軍大尉之家」との門柱が建ち、

多くの訪問者が訪れたとのことです。

 

  しかし、その後の敗戦により、サカエさんを見る目は一変します。

道を歩けば「軍国主義者の母」と、石を投げられたといいます。住む家がないサカエさんは、廃屋の払い下げを嘆願しますが、

市役所にも県にも無視されます。

 草餅の行商をしますがうまくいかず、困り果てていたところに、ある人が声をかけてくださり、

この石鎚小学校・石鎚中学校の校務員さんになることができたのです。

 サカエさんは、とても働き者で、先生や子どもたちから慕われていたそうです。そして、昭和28年、この教員住宅の一室で、

寂しく息を引き取ります。

 

  たった一人の息子が国に命を捧げ、その息子を軍神と称えられたかと思えば、敗戦と同時に犯罪者のように貶める・・・。

サカエさんは、世間の冷たさ、そして戦争の悲劇をいやというほど感じられたでしょう。

 

 私の父親の本棚には、戦記物が多数並んでいました。自身も、学徒動員で善通寺の部隊に所属し、

本土決戦に備えた訓練をしていたと言っていましたから、何らかの思い入れや感慨があったのでしょうが、

今振り返れば、特別攻撃隊関係のものがとくに多かったのを覚えています。

 

 私たちの家族がこの石鎚小学校・中学校の教員住宅に住み始めたのが、おそらく(正確ではないですが)昭和36年です。

サカエさんが亡くなってから、8年後ですね。亡くなった部屋も、当時のことですから建て替えなどしていなかったはずです。

もしかすると私たち家族が住んでいた部屋だったのかもしれません。

 

 父親は、おそらく、この関サカエさんのことを知っていたと思われます。そして、当然、関行男大尉のことも。

 自分と4歳違いの同世代と言ってもいい青年が、特攻という形で死んでいったこと、

そしてその息子を亡くし時代に翻弄された母親が、自分の勤めた職場に数年前までいらっしゃったこと、

これらについてどんな思いを持っていたのか、尋ねてみたい気がしますが、それは無理ですね。

 

 戦争は悲しみしかもたらしません。

 前世代においてあの悲しみを経た私たちは、戦争の愚かさと悲しみを背負い受け継ぎながら、一人一人が、

人と人が支え合い信頼し合い愛し合う世界の構築に向けて、努力していかなくてはならないのだと思います。

 

 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(「ユネスコ憲章」前文より)」

 

  雄郡小の子どもたちは、日々「友だちと仲良く助け合う方法」「友だちと仲良く助け合うことのすばらしさ」を学び合っています。

こういう「人が幸せになるストーリー」を紡ぎ合う経験が、まさに「心の中に平和のとりでを築く」力に育っていくのだと思っています。

 

 終戦記念日。ご家庭でもぜひ戦争と平和について語り合ってみてください。

 

 【参考】

 ○「敷島隊 死への五日間―神風特攻隊長関行男と四人の若者の最後」  

                                          根本順善著(光人社NF文庫)文庫– 2003年1月

 ○「敷島隊の五人―海軍大尉関行男の生涯 」

             森 史朗 著 (文春文庫)文庫– 2003年7月

 ○ウィキペディア「関行男」

 

特別支援教育を考える(8/14)

子どもたちがいない学校はさみしいです。

雄郡の子どもたちの日常とは離れた記事にはなりますが、夏休み号をお届けします。

 

 夏休み号 第1号

 

                             特別支援教育を考える

 

【特別支援教育とは】

 

 「特別支援教育」とは、障がいのある子どもの自立や社会参加に向けて、一人一人のニーズを把握し、

その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するための適切な指導及び必要な支援を行うものです。

  「特別支援教育」が学校教育法に位置づけられたのは、平成19年4月。すべての学校において、

障がいのある幼児児童生徒の支援をさらに充実していくこととなっております。

 

【交通事故に遭って考えたこと】

 

 私も特別な支援を受けたことがあります。8年前に交通事故に遭った時です。

それは、結構大きな事故でありました。

 私の右足には、今もチタンが埋まり、正座・駆け足・長時間歩行などはできません。

右肩は、動かすとゴリゴリと音がして、いつも強烈な張りがあります。

この障がいとは今後も私の末長いお付き合いとなりますが、手術前は「一生車いすの覚悟をしておいてください。」

と言われていましたので、「よくぞここまで回復できたな」と感慨深く感じております。

  あの時は、2か月ほど、自分でトイレにも風呂にも行けないどころか、

体が起こせず目の前の取りたい物に手が届かない状態が続きました。自分の体の機能が上手く働かないというのは、とても苦しいものです。

これは、味わった者にしか分からない感覚なのかもしれません。

  通路の段差の解消や動線の確保などは、車いすを常用してから、初めてその重要性が理解できました。

トイレや廊下の手すりは、手足等に障害がある者にとってはなくてはならない大切なものであることが分かりました。

 

  社会のさまざまな施設、さらに言えばさまざまな仕組み・体制は、基本的には「手助けが必要でない者」を対象に作られています。

しかし、一部の者が不当に努力を求められる状況というのは、社会の姿として問題があると言わざるをえません。

 たとえば、赤ちゃんや老人は、その生活において人の手助けを必要とします。しかし、彼らが周りの者から受ける特別な支援は、

憐れみからでも同情からでもありません。その支援は、人間の社会の在り方として、当然の姿であり、

赤ちゃんや老人にとっては自然な権利であるはずです。

 こう考えたとき、特別支援教育とは「特別な子」のための「特別な教育」ではなく、

「一人一人の子どもの状況に沿った教育をする」という教育実践の基本だと思えます。

 

【映画「学校Ⅱ」から】

 

 私の忘れられない映画に、山田洋次監督作品の「学校Ⅱ」があります。

  養護学校(今の特別支援学校)の様子を描いた映画ですが、そこに不本意に異動してきたコバ先生は、

手の掛かるユウヤの担当となります。

そして、やがて対応の限界を感じてへとへとになり、この仕事に対する「むなしさ」を次のように訴えます。

 

 「・・・僕はあいつを追いかけ回すために教師になったんじゃないんですよ。

保育園じゃあるまいし、何で僕があいつのウンコやオシッコの世話までしなきゃなんねんだ。

子どもならまだいいですよ、あいつのウンコやオシッコは猛烈にくさいんだ。・・・(中略)・・・

この2か月ユウヤ一人に僕がつきっきりなんですよ。そんなの学校のあり方として不公平だと思いませんか。」 

  (DVD「学校Ⅱ」松竹ホームビデオ  2006/11/22発売 より引用)

 

 この言葉に対して、レイコ先生はムッとして次のように言い返します。

 

「あなたの今の言い方、少しおかしいわよ。保育園じゃあるまいしとあなたは言ったけど、

保育園で子どものオシッコやウンコの始末をするのはそんなに程度の低いしごとなの?

大学の先生は偉くて幼稚園の先生は偉くないとでも思ってるの?」

   「・・・いずれあの子たちはここを卒業したらこの国のすさまじい競争社会に放り出されるのよ。

せめてこの学校にいる間は精一杯愛してあげたい。自分にも母校があるんだっていう思い出を作ってあげたい。

それがどうしていけないの。何が不公平なの。」(DVD「学校Ⅱ」松竹ホームビデオ  2006/11/22発売 より引用)

 

 コバ先生の思いも、何となく分かるような気がします。子どもの目に見える成果や成長が見えないと、

教師は不安になり疲れるものです。映画の中では、この時点でのユウヤの姿からは、

そういう前向きに進んでいる姿は全く見えていないのです。

 しかし、そんな嘆きに同情するどころか活を入れるかのような、レイコ先生の言葉には重みがあります。

心を閉ざし愛情を必要としている子、手助けがないと立ち上がれない子・歩けない子、

順序良く丁寧に話し説明しないと伝わらない子に、人並み以上に手をかけ愛情を注ぎ支援するのは“当たり前”です。

それは決して“不公平”ではありません。

 

 【特別支援教育とは、私たち自身の「共生」の方向を考えていくこと】

 

  人は誰しも、さまざまな課題を背負って生きています。そして、特別支援教育とは、私たち自身の生きていく上でのさまざまな課題を、

お互いが支え合いながらよりよく解決していくための方向性を考えることなのかもしれません。

 

  本校の特別支援教育チームは、毎日毎日一人一人の子どもの状況を報告し合い、次の日の、また1週間後の、1か月後のと、

さまざまなスパンでの支援を検討し実践しています。目の前に子どもの姿を描きながら協議している姿は、

「チームで行う教育」の手本のようです。子どもたちは幸せだと、胸を張って言えます。

  私も、もっともっと、勉強していきたいと思います。

 

子どもの心に素敵な喜怒哀楽の心性が育ちますように(7/17)

まもなく1学期が終了します。毎日各教室を訪問する中で、子どもたちはもちろんですが、先生方のいろんな表情や言葉にもたくさん出会いました。今日の教室の風景です。

 

【1年生の教室で】

 先生が真剣な表情で子どもたちを見つめています。何かの片付けについての説諭のようです。

 「大切な物が、なくなったら大変だよね。」

 いつもは優しい先生の、真剣でいて悲しそうな声に、子どもたちは神妙な様子です。

じっくりとうなずく姿を見ていると、「あ、子どもの心にしっかりと届いているな。」と感じました。

 

【4年生の教室で】

 2~3人の、音読の発表です。内容は落語。

 私が覗く前に各チームで練習を重ねたのでしょう。抑揚・強弱をつけての音読は、真剣そのものです。

 「すごーい。上手だったよね。頑張ったね!」

 先生は、温かい笑顔で声を掛けます。

 発表した子らは、照れくさそうに微笑みます。

   「感想ある人!」

 先生の声かけに、手がざざっと上がり、「すごかった。」「2人のタイミングがよかった。」

と誉め言葉が続きます。安心感に包まれた穏やかな笑顔が教室中に広がっていました。

 

   何に喜び、

  何に怒り、

  何に笑い、

  何に悲しむか。

 

    さらには、

  何を大切なこととし、

  何を誉め、

  何を許せないこととするか・・・。

   

 これら教師の日々の喜怒哀楽が、学級の子どもたちの規範や文化を創っていきます。

 私たち教師が研修に励まなくてはならない大きな理由は、きっとここにあるのでしょう。

 

 新たな出会いや発見に喜び、人間として許せないことに真剣に怒り、人の喜びに共に笑い、

 人の悲しみに共に泣けるような、そんな素敵な喜怒哀楽の心性が、雄郡小の子どもたちに育っていきますように。

プールには神様と魔物がいるんだよ ~2年生 プール開きの一コマから~(7/6)

 その日、私は出張で、プール開きの挨拶は教頭先生にお願いしました。その聞き書きです。 

 「プールには水の神様がいます!」

 

 教頭先生は静かに語り始めます。

 「みんなが一生懸命泳いでいるのを、『がんばれー』と応援し見守ってくれているのです。

 自分の目標を決めて、しっかり頑張りましょう。」

 素敵な挨拶です。

 子どもたちは、うんうんとうなずきながら聞いていたそうです。

 

 さてさて、その後です。水泳の時間の注意を担当教員が話すことになっています。担当は初任者の先生です。

教頭先生は内心、「しっかり話してよ。」と心配していたそうですが、そんな心配は全く無用でした。

 

  「プールには魔物がいます!」

 

  教頭先生は、ガツン-と感じたそうです。そして、思わず「うまい!」と手を打ちかけたとのこと。

 その後、担当教員は、水の怖さをしっかりと伝え、ルールを守りながら水泳を楽しむことの大切さを話し、

子どもたちは真剣な表情で聞き入っていたそうです。

 教頭先生と担当教員、打合せ無しの見事な連係プレーだと感じました。

 2年生は、元気一杯水泳を楽しんでいます。

水を怖がっていた子も、たくさんの子がもぐりっこやけのびができるようになりました。

バタ足も上手にできるようになりました。

 

 子どもたちは、魔物に出会うこともなく、水の神様をしっかりと味方にしたようです。

 

「きつねのおきゃくさま」~愛おしいきつね君へ~(7/2)

 先週の水曜日に、本校初任者の研究授業がありました。 2年生の国語で、題材は物語「きつねのおきゃくさま」。

 

  物語のあらすじは次の通りです。

 

 お腹をすかせた「きつね」が、太らせてから食べようと、まず「ひよこ」に優しく声を掛けます。

幼いひよこは、全く疑いも持たず、「あひる」「うさぎ」も誘い、全員で共同生活を始めます。

 ところが、食べられるはずの3匹は、きつねの悪だくみに気づかず、「きつねお兄ちゃんは、やさしい。」とか

「かみさまみたい。」と話し合います。そんなことを言われたことのないきつねはのぼせ上がり、

胸の内は微妙かつ複雑に揺れ動きます。

 そして、「くろくも山」から狼が下りてきて、3人がまさに食べられようとする時、きつねは何を思ったか飛び出し、

勇敢に戦うのです。狼は逃げていきましたが、深手の傷を負ったきつねはその夜死んでしまう、という話です。

 

 子どもたちの話し合いは、「“はずかしそうに わらって しんだ”きつね」の心情に集中しました。

「みんなを守れてよかったよ。」

「本当は、おまえたちを食べようとしていたんだ。」

「かっこいいところを見せられなかったことが恥ずかしいよ。」

「死にたくない。ひよこたちとまだ一緒にいたいんだ。」

・・・

 

 なぜきつねは、最期に笑ったのでしょうか。

 3匹を守れた安心感からなのか、悪だくみの心から解放された喜びなのか・・・。

 この日、指導助言をいただいたのは、愛媛大学副学長の三浦和尚先生でした。

 先生は、この作品の作者である「あまんきみこ」さんと懇意にされています。

 ある時、あまんさんに、

 「きつねを何で死なせたんですか。仲間と仲良く暮らしました、ではいけないでしょうか。」

と質問されたそうです。

 あまんさんは、

 「かわいそうなことをしました。けれども、あのお話では、死んでもらわなくてはならなかったの。ごめんなさいね。」

と話されたとのこと。

 あまんさんにとっては、心ならずもきつねに死んでもらって、やっと伝えられることがあったのでしょうね。

 

 この物語で最高のキーマンは、私は「ひよこ」だと思っています。

 ひよこの、素直に「きつね」を信じる気持ちが、疑いを持つ「あひる」や「うさぎ」の心を動かし、

やがてきつねを生まれ変わらせたのです。純粋無垢な存在というものは、周りの人を変えていく力があるのですね。

 

 「恥ずかしそうに」という言葉については、三浦先生が御指導の中でこんなことをおっしゃいました。

 「生きるってことは恥ずかしいことの繰り返しで、人は、人に言えないようないろんなものを抱えているはず。」

 

 「田頭校長も同じですよね。」

 と言われ、思わずうなずき、苦笑してしまいました。

 きつねは、自分のことを善人と思われたままで死んでいくことが、きっと、くすぐったくて、それでも嬉しかったのでしょうね。

 

 あまんきみこさん。

 子どもも大人も深く考えさせられる素敵な作品を、ありがとうございました。