校長室より

読書へのいざない

 子どもの読書離れが叫ばれて久しいですが、全国学校図書館協議会の平成2018年の調査によると、

 5月1か月の読んだ本の平均冊数が、次のようになっていました。

〇 小学生: 9.8冊

〇 中学生: 4.3冊

〇 高校生: 1.3冊

 

 また、不読率(1か月で1冊も本を読まなかった子どもの割合)は、次の通りです。

〇 小学生: 8.1%

〇 中学生:15.3%

〇 高校生:55.8%

 

 高校生の2人に1人は、全く読書をしていないとの結果に驚くばかりです。

 

 20年ほど前になりますが、私は、大学の教育学部生に数コマの講義をする機会がありました。そこで、講義テキスト以外の趣味の読書習慣について尋ねましたが、半数以上の学生が「この1か月、全く読書をしていない。」と手を挙げたことを覚えています。子どもたちに、読書の喜び・楽しさを伝える役目を担う皆さんが、こんなことでは困りますねえ。」と嫌味混じりに嘆いたのを覚えています。

 

 現在、この読書離れの傾向はさらに進んでいることと思います。インターネットにより、必要な情報の大半は気軽に入手できるようになったからです。児童・生徒が好んでいた物語や小説も、ほとんどの作品はネット空間を探せば、その内容の要約がどこかに掲載されています。

 

 読書は、自分を振り返り、視野を広げ、ものの見方・考え方を成長させていく力となります。また、学習面においても、読書習慣の身に付いている場合とそうでない場合は、学年が上がるにつれて、理解力・表現力・思考力等の能力の伸張に、大きな違いが生じてきます。ページを自分の指でめくりながら、どきどきしていく感覚を子どもたちに感じてほしいと願っています。

 

 幸い本校の子どもたちは読書好きな子が多いようで、図書館にも多くの子が本を借りにいっています。

 また、ボランティアの方々が、長年にわたって読み聞かせのボランティアを行っていただいており、子どもたちは毎回、物語の世界に浸りきっています。

 

 これからも、さまざまな機会を通じ、子どもたちに読書習慣が身に付くよう、全職員で働きかけていきたいと思います。

 

 

唇に歌を!

 金曜日に、校内音楽会がありました。運動会が終わってしばらくしてから練習が始まったのですが、子どもたちはすばらしく素敵な音を奏でてくれました。

 1年生の「さんぽ」では、元気いっぱいの振り付け付きの歌声に、ほっこりした気分となりました。

 2年生の「そんごくう」のストーリーを演じる子どもたちは、溌剌とした笑顔と声で表現していました。

 3年生の「マンボ№5」は、観ているこちらまで楽しくなって、自然と体がリズムを取ってしまっていました。

 4年生の「カントリーロード」は、英語の歌詞を流れるように歌っていて、とても懐かしい気持ちになりました。

 5年生の「クラシック」の名曲を集めた組曲は、心に響くような大変レベルが高い演奏で、繰り返しての練習の跡を感じました。

 6年生の「日本民謡」は、難しい旋律なのに見事に楽器を組み合わせ、圧倒的な迫力で下級生たちを感動させてくれました。

 最後には、校歌の全体合奏がありました。参加された保護者の多くの方が、ハンカチで目を押さえられていました。保護者の皆様の中には、本校卒業生も多数いらっしゃいますが、きっと感無量であったことでしょう。

 

 世界中のどの民族においても、音楽と舞踏は必ず受け継がれているそうです。メロディには、人間の魂を覚醒させる力があるのですね。

 “心に太陽を!唇に歌を!”

言い古されたフレーズですが、子どもたちが生きていく上で、とても大切なことなのだと実感した一日でした。

 

 

 

学ぶことの尊さとありがたさ~マララ・ユスフザイさんについての校長講話から~

 先日、ノーベル賞の発表週間があったことを受けて、校長講話で、マララ・ユスフザイさんの話をしました。

 

 マララさんは、武装集団の弾圧やテロの中、「学校へ行きたい。」という素朴な願いを訴え続けます。しかし、彼らはそれを許しませんでした。マララさんは、頭に2発の銃弾を受けてしまうのです。

 死の恐怖に直面した彼女ですが、その後も決してひるまず、世界中にこの理不尽と、人間が本を読みペンを握り学び続けることの大切さを伝え続けます。そして、その功績が認められ、2014年、17歳という史上最年少でノーベル平和賞を受賞するのです。

 

 子どもたちは、学校に行きたいとの願いさえ叶えられない子どもたちが、この世界に多数いることについて、「信じられない」という目をしていました。そして、銃弾に撃たれた後のうつろな目のマララさんを見て、多くの子から「ふー」とのため息が聞こえてきました。

 

 One child, one teacher, one pen and one book can change the world.

1人の子ども、1人の先生、1冊の本、1本のペン、それで世界は変えられます。(マララさん国連演説スピーチより抜粋)

 

 マララさんの言葉に、子どもたちはしんみりと聞き入っていました。

「しっかり勉強しよう。そして、その力を、自分の幸せのため、そして周りの人を幸せにするために生かそう。」

私がそう呼びかけますと、「はい!」という何人もの大きな声が体育館に響きました。

 

 その日、図書室に行った子らからは、「あ、マララさんのこと書いている。」と、彼女の関係の図書を手に取り借りる子らが多数いたとのことで、子どもたちに何らかのメッセージを残せたような気がしてホッとしました。

 

 子どもたちには、学ぶことの尊さとありがたさを感じながら、新しい自分を発見していってほしいものです。

 

【参考】

「わたしはマララ 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女」

  (マララ・ユスフザイ著  学研パブリッシング 刊)

 

 

「戦争という大きな物語」に対する「小さな家族の物語」~「一つの花」に寄せて~

 先日、4年生の初任者の先生の学級で、国語科の研究授業がありました。教材名は「一つの花」。長く国語教科書に使用されている物語で、今は大人になっている方も含め、多くの方がご存知だと思います。

 

 戦争が激しかった頃、いつも腹を空かしている「ゆみこ」は、「一つだけちょうだい」が口ぐせです。生活の困窮と戦況の悪化の中、お父さんは「どんな子に育つのだろう。」とゆみこの未来を案じます。

 お父さんが戦争に行く日、ゆみこの「一つだけちょうだい」が始まり、とうとう泣き出してしまうのですが、お父さんはホームの片隅にひっそりと咲いていたコスモスの花一輪を「一つだけ」と渡し、ゆみこの喜ぶ様子を見てにっこり笑い去ってしまう、というお話です。

 後半には、コスモスに包まれた庭から出てくる10年後のゆみこの姿が描かれています。

 

 授業者であるM先生は、もう3か月も前から、「一輪のコスモスを渡したお父さんの気持ちを、どうやって子どもたちに考えさせるか」で頭を巡らせ苦労されていました。

 当日、子どもたちからは、お父さんの気持ちについて、

「コスモスをお父さんの代わりと思ってほしい。」

「笑顔で見送ってほしい。」

などの発言がありました。

 そして、授業の最後では、

「この物語の悲しさが分かった。」

「お父さんのゆみこを思う気持ちが伝わった。」

とのまとめの発表が出されました。

 M先生が感じてほしかったこの物語の「大切なこと」は、子どもたちの胸にしっかりと刻まれていたようです。

 

 太平洋戦争では、軍人・軍属に民間人を加えると、310万人の死者があったといわれています。ゆみこのお父さんも、その一人です。

 戦争の愚かさや悲惨さについては、今さら申し上げるまでもないことですが、私は、この「一つの花」が伝えようとしているのは、「大きな物語としての戦争」に対する、「家族の営み・愛という小さな物語」なのだろうと思っています。

 

  お父さんは、プラットホームのはしっぽの、ごみすて場のような所に、わすれられたようにさいていたコスモスの花を見つけたのです。      

(引用)「一つの花」今西祐行 著 ポプラ社刊

 

 ここには、「はしっぽ」「ごみすて場のような所」「わすれられたように」と、何度も繰り返して「一輪のコスモス」などは取るに足らない存在とされているのだ、という時代状況のイメージが描かれています。

 しかし、ゆみこは、それを「取るに足らない存在」とはしませんでした。花を手渡してもらい、それまで泣きじゃくっていたのに、足をバタつかせて喜ぶのです。

 にっこりとして、何も言わずに行ってしまったお父さんは、「一輪のコスモスの花の美しさ」を感じ喜んだゆみこを見つめながら、悲しみの中にほっとした喜びを感じたのでしょうね。

 作者である今西祐行さんの、戦争に対する静かなる抵抗が感じられるシーンです。

 

「家族が、ささやかであっても深く確かな愛情を持ち合って、平和に仲良く日々を生きていけること。」が、いかに大切で素敵なことか。この物語の学習を通し、4年生の子どもたちが考えてくれたら、と願っています。

 

【参考・引用】 「一つの花」今西祐行 著 ポプラ社刊

 

 

早く元気になーれ!

【院内学級から】

 A君は、本校「院内学級」の4年生です。

 5月28日付けの「校長室より」でも紹介いたしましたが、本校には、院内学級という教室が設置されています。これは、校区内に県立中央病院があることから、病院内で入院中の児童に授業を行うものです。

 現在の在籍児童は、この4年生男子1名です。

 彼は、急な病に襲われ入院となった訳で、10歳の子にはかなり辛い体験だったことと思いますが、今は病気を治すことを最優先にしながら、治療の合間に授業時間を設定して、毎日勉強に取り組んでいます。

 

 A君は、算数が得意なようです。

今日は病院を訪問した時、あまりにすらすらと計算を解くので「やるねー」と声を掛けますと、嬉しそうに微笑んでくれました。退院して登校できるようになった時、

 「『しっかり勉強していたんだから、僕は大丈夫!』と胸を張れるようにしてあげなくては」

と、担当教員は張り切っています。

 先週には、本校の英語専科教員とALTが揃って教室を訪ね、英語の授業をしました。

 どうも、彼は、外国の人との本物の英語でのやりとりは初めてだったようで、すっかり興奮して、何度も繰り返しながら数字の読み方や自己紹介の言葉を学んでいました。

 

【2年生の教室から】

 2年生のB君は、左足を骨折しています。

 しばらくの間、車いすに乗っていましたが、今は松葉づえを使っています。

 平地ならいいのですが、困るのは階段です。特別教室への移動が難しいのはもちろんですが、2年生の教室自体が3階にあります。

 そこで、担任はじめ教員団で考えたのが、1回の会議室での授業です。

 2年生の子らにとっては、パイプ椅子は体に合わないのですが、違った部屋での勉強は気分も変わって新鮮なやる気が出るようで、普段の教室以上に熱心に勉強しているように見えます。なにより、このことによって、B君も一緒に勉強できることが、子どもたちにとって幸せなことのようです。1日1・2時間程度ですが、職員室にまで2年生の元気な声が響いてきています。

 

 今日は、給食の時間に、この会議室を訪ねてみました。

 教室の生活班が、日替わりで一緒に給食を食べています。みんな、素敵な笑顔を見せてくれました。

 

 2人とも、早く元気になーれ!!

 

 

運動会に寄せて

 この22日(土)、平成30年度運動会を開催いたしました。

数日前から雨模様で、当日未明においても時折雨が降っていましたが、まもなく快方に向かうとの天気予報を信じ、予定通り実施いたしました。

子どもたちの願いが天に通じたのでしょう。みるみる空は晴れていき、午後にはポカポカ陽気となりました。ご観覧いただきましたご来賓・保護者・地域の皆さま、ありがとうございました。

 

 1・2年生の「かけっこ」は、何度見てもわくわくしてしまいます。

 「よーい」の時のまんまるに開いた真剣な目。ゴール前の歯を食いしばった表情。そのひたむきな姿を見ているだけで嬉しくなりました。

 3・4年生の団体競技は、とにかく楽しかったです。

 大きさは違いますが、どちらもボール(玉)を使ったものでしたが、思い通りにならないボールの動きに熱中する姿に、会場からは大きな歓声が上がっていました。

 5・6年生の表現は、私たち観る者を感動させてくれました。

 体全体を揺り動かして熱い思いぶつける5年生のソーラン節。難しいステップと隊形移動をしながら、満面の笑顔で踊ってくれた6年生のダンス。どちらも、まさに「美しい」という言葉がぴったりの姿でした。

 

 さて、運動会終了後の終礼で、第三者としての感想を聞きたいと考え、実習生さんたちに話していただきました。以下、ご紹介します。

 

(実習生Aさん:愛媛大学教育学部2回生女子)

 母校の運動会に参加できて嬉しかったです。2週間前の実習時の、子どもたちの練習の姿を覚えていますが、本番の動きは格段にすばらしくて感動しました。

(実習生Bさん:愛媛大学教育学部2回生女子)

 自分が小学生の頃を思い出しました。このような大きな行事の陰では、先生たちがいろいろな準備や大変な作業をしていることがよく分かりました。

(実習生Cさん:愛媛大学教職大学院2年男子)

 子どもたちの真剣な演技がすばらしかったです。準備係として、へとへとになるほど働かせていただき、とにかく疲れました。いい汗をかきました。

(ALTキーラン先生)

 中学校の運動会にも参加したことがありますが、中学校に比べ、小学校ではいろいろな華やかで楽しい種目があるなと思いました。自分も思い切り楽しめました。

 

 閉会式での子どもたちは、とても清々しい表情をしていました。1学期後半から準備・練習を重ねてきた成果を、自分たちなりに発揮した満足感で一杯だったのでしょう。 

 

 ご来賓としてお越しいただいた遠藤前校長先生。お帰りの際、目を赤くされていました。「よかった」と、心から思いました。

 

 参加者のどなたにとっても、それぞれに素敵なストーリーが生まれた運動会であったようです。ご協力・ご支援いただきましたすべての方に、心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

 

たった一言で人は前を向いて生きていける~子どもにとっての素敵な「縁」に~

 今月12日、PTAの皆さま主催の「坊っちゃん学習会」という会があり、保護者の方々にお話をさせていただきました。そこでの内容を、改めて紹介させていただきます。

 

 島秋人という名の歌人をご存じでしょうか。

 毎日歌壇賞受賞をはじめ、新聞の短歌欄で数多く入選し、歌集も出版している歌人です。

 ただし、今はこの世にいません。彼は、殺人を犯した罪で死刑となったからです。

 

 島は、幼少期を満州ですごし、敗戦により父母と新潟県柏崎に引き揚げてきました。警官をしていた父親は公職追放となり、母親は過労がたたって結核を患い死亡します。彼自身も虚弱で重傷のカリエスを患い、7年間もギブスをはめています。

 小中学校の9年間、成績はつねに最低であり、0点を取ったときは教師に「低脳!」とののしられて暴力を振るわれます。

 大好きな母親をなくし、父親にも冷たくされ、友人もなく、教師にもいじめられ、極貧の生活を送る島は、次第にひねくれていきます。そして、盗み等の犯罪を繰り返すようになり、とうとう少年院に入れられます。

 「少年院出」のレッテルを貼られた彼を、雇ってくれる職場はありません。金もなく、飢えに耐えかねた島は、とうとう民家に押し入り、そこの主婦を殺害して金銭を奪ってしまうのです。

 

 「情状酌量の余地なし。」

 これが死刑宣告の時の裁判官の言葉です。

 彼は、拘置所の壁を見つめながら考えます。「自分は何のために生まれてきたのだろう」と。

 

 孤独な島は、刑務所の図書館で、絵を描くことで心を癒やされていく少年のことを書いた、開高健著『裸の王様』を読みます。そして、思い出します。“自分のことを、ほめてくれた先生がいた”ということを。

 

 中学校時代の美術の時間です。

 担当の吉田という先生が、彼の横を通りました。そして、先生は、その時、何気なく「絵は下手だけど構図がいいね。」と声をかけたのです。

 

 島は、手紙を書きます。人生の中で、母親以外で唯一自分のことを認める言葉を発してくれた吉田先生に宛てて。

 「あの時ほめてくれて嬉しかった」と。

 

 死刑囚からの手紙など迷惑なことだろう、不気味に思われるだろう、と返事は期待していなかった島の元に、分厚い封書が届きます。吉田先生からの返信です。その便りには、島への共感と同情の思いが綴られており、その慈愛に満ちた文面に島は涙したそうです。そして、そこには、吉田先生の奥様の作られた短歌が、3首同封されていました。

 

 嬉しくなった彼は、すぐに返信を書きます。そして、奥様に対しては、見様見真似の自作の短歌を作って同封しました。このやりとりをしながら、彼の才能を見抜いた奥様の励ましで、島は短歌の創作・投稿活動に没頭し、やがて選者で歌人の窪田空穂氏の目にとまり、権威ある毎日歌壇賞まで受賞することになるのです。

 

 島の残した歌集「遺愛集」から、いくつか紹介します。

 

 ・子を四人授かる相と愛しむをわがてのひらは寂しかりけり

 ・握手さへはばむ金網目に師が妻の手のひら添へばわれも押し添ふ

 ・生まれ来しいのち愛しむ夜の更けを亡母に添うごとうつぶせに寝る

 ・温もりの残れるセーターたたむ夜ひと日のいのち双掌に愛しむ

 (島秋人 著 「遺愛集」東京美術発行 より抜粋)

 

 どれも、何と悲しくも愛おしい温かさに包まれた歌でしょうか。わびしさと切なさが入り交じった心象風景、そして彼の人間愛がひしひしと伝わってきます。人を殺めた死刑囚が作った短歌とは、とても信じられません。

 

 死刑執行の前の日の歌が、次の短歌です。

 ・この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し

 (島秋人 著 「遺愛集」東京美術発行 より抜粋)

 

 「識らず来て」の一節が、とても悲しい思いがします。「識らず」にしてしまったのは、周りの大人です。彼を認め励ます者が、ほんの少しでも彼の身近にいれば、こんな不幸はなかったはずです。

ただ、救われるのは、「夜温し」の言葉です。島は、穏やかで澄み切った心境となって、この世を去っていったのでしょう。

 

 人間のさまざまな行動について、私たちは善悪を判断し、時に断罪し時に褒め称えます。

 人を殺してはいけない、というのは私たちの社会で当たり前のことであり、殺人を犯した者はその罪を背負うべきです。さらに言えば、殺人でなくとも、すべての犯罪・違法行為は社会から嫌悪されていくべきです。

 しかし、大半の人間がそういう犯罪行為をしないのは、その者たちが犯罪をしてしまう者より道徳的に高い徳性を持っているから、あるいは理性的であるから、とは簡単には言い切れないと思っています。

 もし彼が、違った境遇に生まれて違った『縁』を紡ぐことができていれば、自分の持つさまざまな力や人間性を開花させていったはずです。そして、人を愛し人に愛される、穏やかな人生を送ったはずです。

 

 教育・子育ての環境づくりというのは、子どもたちにとっての、この『縁』というものを、少しでも素敵なものに整えていく営みですね。そして、その中でも、吉田先生の何気ない一言が島を変えたように、日常のささいな振る舞いや言動が、実は子どもの成長にとって一番重要なことなのかもしれません。人は、たった一言で、元気になったり、自分を振り返ったり、何かに興味を持ったりするのです。もちろん、逆に、立ち直れないほど傷つくこともあるのです。

 

 保護者の皆様も、私たち教師も、子どもに投げかける言葉のシャワーの中に、その子の人生を支えるような宝を残したいものですね。お互い、子どもにとって、素敵な“縁”になりたいですね。

 

 

 【参考】

  ○「遺愛集」島 秋人 著 東京美術発行

  ○「死刑囚島秋人-獄窓の歌人の生と死」海原 卓 著 日本経済評論社発行

  ○ウィキペディア「島秋人」

 

 

みんなも多くの人の優しさに包まれているんだよ(9/10)

               みんなも多くの人の優しさに包まれているんだよ

                                          ~「月」のお話に寄せて~

 

 先日、集会で子どもたちにお話をしました。お題は「十五夜」です。(「15の夜」ではありません。為念)

 

 月のいろいろな形を画像で示して、

 「何で丸くなったり欠けたりするのかなあ?」

と問いかけますと、多くの子らが手を挙げようとします。とくに4年生は、自信たっぷりの様子です。

確認したところ、この9月は、ちょうど理科で勉強している最中のようです。

 1年生の方を向いて、

 「欠けていくのは、ネズミがかじっているのかな。」

と言いますと、「えー」「ちがうよー」と、たしなめられてしまいました。

 「どうしてなのか、調べて分かったら、担任の先生に伝えてね。」

と言いますと、「はーい」と元気な声が返ってきました。

 

 中秋の名月のことを話し、「1年で、月が一番きれいと言われている日。」と説明しました。

 今年は9月24日です。休日の日ですね。

 この日、

 「今夜は中秋の名月だよ。」

とお子さんが言ってくれたら、どうかほめてあげてください。

 

 その後、この十五夜にちなんだ童話を読み聞かせました。

 題は、「ぽんぽん山の月」。

 町に出かけた母ウサギを、4羽の子ウサギたちが待っているのですが、実は母ウサギは猟師に撃たれて死んでしまっているのです。

月の光の中に母ウサギの姿を重ねて「おかあちゃん、おりてきて」と呼ぶ子ウサギを哀れに思ったやまんばが、

町で買った団子をそっと置き、子ウサギは母ウサギがくれたものと考え喜ぶのです。この様子を、「風の子」が、

そしてそのすべてを十五夜の月が見つめている、というお話です。

 

 あまりにも悲しくて切なくて、そして温かいお話です。

 子どもたちに感想を聞きますと、

  「おだんごをやまんばが置いてあげて、子ウサギたちが喜んで嬉しかったです。」

  「やまんばは、悪い人という感じがしていたのだけど、この話のやまんばは、すごく優しいです。」

と答えてくれました。

 

 「子ウサギをやまんばが見守り、それを風の子が見守り、それをお月さんが見守っている。とても優しい温かいお話だったね。」

そう語りかけますと、子どもたちは、大きくうなずいてくれました。

 

 温かい思い・優しさは連鎖し広がっていくってこと、自分も多くの優しさに包まれて育ってきたってこと。

これらを子どもたちが感じてくれたら幸せです。

 

【参考】

    「ぽんぽん山の月」(著者:あまんきみこ 文研出版)

 

2学期のスタートに寄せて~教育の核となる4つの視点~ (9/3)

                     2学期のスタートに寄せて~教育の核となる4つの視点~

 

  子どもを指導していく核として、私は、「情」「理」「形(型)」「実(利)」の4つの視点があると考えています。

そして、どの教師も、どれかを自分の教育観の基盤としており、状況に応じてその4つを組み合わせて教育活動を行っているはずです。

 

「あいさつ」を例に取ります。

 

〇 「情」…あいさつの心地よさや気持ちよさを情的に感じさせる。

 ・ あいさつは、してもされてもいい気持になるね。

〇 「理」…あいさつの大切さを理屈として理解させる。

 ・ あいさつは、人と人とのつながり・コミュニケーションづくりのために大切だよ。

〇 「形(型)」…とにかく「あいさつをする」という行動を定着させる。

 ・ 人に会ったら、目を見て大きな声であいさつしよう。1日10人に挨拶しよう

〇 「実(利)」…あいさつによる良好な人間関係づくりや心地よさ等の「効果」を理解させる。

  ・ あいさつをし合うことによって、知らない人とも仲良くなれるよ。

 

 先日、夏季休業中の校内研修で、本校のそれぞれの先生に、「自分が教師として特に大切にしたいこと」として、

この4つの視点の中から一つを無理やりに選んでもらいました。

 

その結果は以下の通りです。

 ・ 「情」…約40パーセント

 ・ 「理」…約20パーセント(※ちなみに、教頭先生と私はこれを選びました。)

 ・ 「形(型)」…約15パーセント

 ・ 「実(利)」…約25パーセント

 

 手前味噌で恐縮ですが、本校の先生方、見事な調和だと思いました。

子どもを育てていくには、熱い情熱が必要です。

しかし、しっかりとした理屈を心から納得させなくてはなりません。

 正しい形(型)や方向・行動が身に付くようにしてやらなくてもいけません。

「こんなに役に立った。自信が持てるようになった。」と、学ぶ喜び・意義を感じさせなくてはなりません。

すべてが大切なことであり、その状況に応じたバランスある指導が、子どもを豊かに育てていくのだろうと思います。

 

 今日は、第2学期始業式でした。私は、次の2つを子どもたちにお願いしました。

 〇 感謝の気持ちを持って生活しよう。

 〇 何事も最後まで頑張ろう。

 自分なりに、上記4つの視点を織り交ぜて語ったつもりです。

 

 第2学期が始まりました。今学期も、雄郡っ子とともに、教職員一丸となって、素敵なドラマを作っていきます。

 

子どもの「伸びる力」を信じる(8/31)

夏休み号 第3号     

                      子どもの「伸びる力」を信じる

  

 あるアメリカの小学校で、研究者が、学級担任に、「検査の結果、数か月後に成績が伸びると判定された児童」の名簿を手渡したところ、

本当にそれらの児童の成績が伸びていたそうです。

 それはそれで、もちろんいいことなのですが、実はその検査というのは、成績が伸びるかどうかの判定などできるものではなく、

児童名も全く無作為に選んだ子らであったのです。

 

 なぜこんな不思議な結果が生じたかというと、担任が、名簿に示された子らに対して、「この子は伸びる」と信じ切ってしまったために、

発する言葉かけや指導の手順などが、本当にその子らを伸ばし育てるような、きわめて適切なものになっていったのではないかということです。

 

 このような、「教師等の周りの大人が、子どもを信じ温かい姿勢で接することにより、学力成績等が伸びていく」という現象を、

ピグマリオン効果といいます。

 

 この現象の信頼性において、さまざまな反論もあるようですが、たった一言の励ましで、やる気になりぐんぐん成績を伸ばした子どもを

何人も見てきた私としては、まさに教育現場における真実であると実感しています。

 

 「大丈夫。君は伸びるよ。」と信じ切っていれば、少々のつまずきやミスに対しては、「どうしたの? 君の力はそんなもんじゃない。」

という思いが湧き、自然な励ましの言葉や態度が生まれるはずです。

 もし、その子のことを「無理だろうな。」「難しいだろうな。」などと考えていれば、伸びる力を削ぐような言動も出てきかねません。

 「子どもたち一人一人の伸びる力を信じ切る」という姿勢は、保護者の皆さまや教員、子どもの成長の支援にあたる者の根本的な姿勢であるべきですね。

 

 

 先日、2学期を前にした職員会議を行いました。

 「【チーム雄郡小】として、子どもたちの伸びていく姿の把握に努め、それをさらに伸ばす言葉かけ・働きかけを実践していこう」

と、全教職員で確認し合いました。

 

 2学期が始まります。

 保護者の皆さま、地域の皆さま、共に「雄郡の子どもの確かな成長」を信じ切り、支え合っていきましょう。